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お盆である。わが家では、私が小さいころから、このような盆棚をつくり先祖を供養する。数年前までは柴田町の農村では、どこの家でもこのような盆棚をつくったが、年々省略する家が増えているらしい。じつは私の家でも省略しようと数年前から父と話をしているのだが、なぜか盆が近くなると父が準備するのである。
小学生の頃(昭和38年頃)の記憶にある供え物と最近の供え物は、あきらかに違う。花は野山から採ってきたキキョウなどが主だった。採ってくるのは子どもの役目。お菓子の記憶はなく、家のカボチャやとうもろこし、ウリなどだったような気がする。なぜか、叔父や叔母が買ってきてくれた花火が供えられていたことを鮮明に憶えている。「盆と正月が一緒に来た様」は、物が豊富な時代に育った今の子どもたちには死語かもしれない。
盆棚を飾りながら、大正生まれの80歳近い父が「自給自足の水飲み百姓、戦争、戦後と生活は大変だったが、小さい頃には考えられないほど衣食住とも豊かな生活になった。俺らはどん底から豊かさに向かってこれたので、豊かさの幸福を実感できるだけ幸せかもしれない。生まれながらにして何不自由なく育った孫たちのほうが心配だ」と語ったことが耳に残る。
どこの家でも迎え火を焚き、送り火の後、お墓で花火をした情景は一枚の写真となって記憶にある。山にあったお墓で普段は怖いのに、お盆の夜(16日?)は大人から子どもまで大勢人がいて、明るく華やいだ独特の雰囲気だった。 |