それでも……じゃない?
以前、私はあるカード会社の研修で原田甲斐の話をしてくれと頼まれ、教育ママに教育されたエリート役人と話したところ、研修会の主催者の代表は、柴田くんだりまできて、マザコン男の話を聞かされるとは思わなかったと不快感を隠さなかったと書いたことがあった。 マザコン説は勿論、十分な証拠を積み上げての成果とは言い難い。それは他の原田甲斐の人物解釈とあまり違いがないと思う。 では、何故私は原田甲斐を否定的な人物像を思い描いたのだろうか、と自問してみる。うすうす感じていたのは、山本周五郎が描く甲斐像に対する懐疑である。いや、山本周五郎が描いた甲斐像への懐疑ではなく、あのような甲斐像を作り上げた山本自身への疑問というべきかもしれない。 山本周五郎は原田甲斐を次のように描写する(以下、山本甲斐とする)。 彼は六尺ちかい背丈で、色の浅黒い、温和な顔だちをしている。 また、 おもながで額が高く、その額に三筋の皺があり、その皺が四十二歳という年齢を示しているようであった。甲斐は黙っていると四十五六にみえる。彼はあまりものを云はない。たいていのばあい黙って、人にしゃべらせている。話しをするときにも饒舌ではないし、決定的な表現は殆んどしなかった。 さらに、「くびじろ」と名付けた大鹿との格闘に熱中する野生味を有し、いかなる事態にあっても動じることがなく、置かれた状況を従容として受入れる人間として描かれている。 山本周五郎は「颯爽」としたことを嫌った。剣豪宮本武蔵が嫌いだった。特に、吉川英治が描く宮本武蔵は生涯嫌いだったという。 嫌いだったから茶化した。日本魂社という雑誌社に勤めていた時、締切り間際の雑誌が1ページ空いてしまったことがあった。至急埋め草を書くようにいわれて『宮本武蔵と化物退治』というのを書いて社長のところに持っていった。読んでいた社長はみるみる顔色をかえて怒った。 話は村人を困らせている化物を武蔵が退治するところを薄が原のお堂の所に集まった村人たちが今や遅しと待っている。化物と仕合をする約束の時間がとうに過ぎても武蔵は現れず、化物も村人も帰ってしまう。実は武蔵は薄が原までは来ていたのだが、ひどい下痢に悩まされ、一晩中しゃがみ続けていた、というものである。 この作品が活字になったかどうかはわからない。 武蔵茶化しは『よじょう』という作品にもみられる。「よじょう」とは予譲という晋の人で、主人の仇を討つことが出来ず、その仇の着物をきって恨みをはらしたという人物である。 物語はこうである。 熊本城下。晩年の武蔵はここで細川家の客分として過ごしていた。武蔵の名声を聞き、家臣達のなかで、名人が不意を襲われたらどうなるかが話題となって、腕に覚えのある料理人(武士である)が試すことになった。物陰に身をひそめて武蔵の背後からうちかか ったが、武蔵は一刀のもとにこれを軌り倒し後も見ずに立ち去った。 料理人には家出中の息子がいた。父の死を耳にして家に戻るが、堅苦しい侍家業が嫌で家を出ての放蕩三昧、遺骸を前にして兄と喧嘩となり勘当される。 ますます捨て鉢になり「乞食になって、この蒲鉾小屋の中から世間のやつらを笑ってやる」ということになる。この小屋が、武蔵が登城する道順にあたっていたので、この放蕩息子が親の仇を討とうとしているのだと考えた。大枚の金子を持って来るものもいれば、愛想をつかした女たちも争って小屋に押しかけて来る。 息子は考えた。自分が仇を討とうとしている事を知っても武蔵から押しかけて来ることはないだろう。相手は剣の達人、一年や二年なら機会をうかがっていると思うだろう。 武蔵を小屋から観察していると、供のものを離れさせ、小屋の前に止まる。前の方をにらんだまま、討って来るのを待つかのように。 −こちらはなにもしないのである。しようとも思わない。とんでもないことであった。だがその人は危険に備えていた、神秘的な構えで生命の危険と対立していた− 金もたまり女もできた、いいかげん芝居をやめて他国で宿屋でも、と考え始めた矢先に武蔵が死んだ。武蔵の家来が彼の小屋を訪れ、主人の遺言だといって武蔵の着物をさし出す。「身につけた着物を遣わす故、晋の予譲の故事にならって恨みをはらすようにとのことでございました」という。 彼はそんな故事など知らなかったが、説明を聞き、一人になると小屋の中を転げ廻って笑った。 滑稽な武蔵ではある。一つの地位を築き上げた人間がそれを維持するために浪費する「気取った見栄っ張り」が小気味よく茶化されている。 山本周五郎が吉川武蔵が嫌いだったように、私はどうしても山本甲斐が好きになれない。 その大きな要因に、伊達騒動を山本周五郎が解説してみせたようなものではないという思いがある。大名取り潰しとか分割の策謀などがあったために騒動が起こったという解釈はおかしいと私は考えている。 山本甲斐が支持されるのは『樅ノ木は残った』という舞台の上においてである。ところが、私はややもすると、私が作り上げた伊達騒動の舞台に山本甲斐を引きずり上げて原田甲斐をみている。 すると、原田甲斐はありもしない陰謀に振り回されているのに、泰然自若を装う滑稽な見栄張りに見えてくる。「くびじろ」を追う甲斐はアウトドア志向というより「ひきこもり」の一ヴァリエーションとしかうつらなくなる。 そして、もっと根源的に山本甲斐が嫌いなのは背丈が六尺近いことである。当時にあっては、そして私にとってもそれだけで圧迫感がある。 例えば、「短躯で、手だけが背丈に比べて不釣合なほど大きい」という肉体であるならもう少しリアリティがあって、素直に受け入れられたかも知れない。柴田家中の子孫といわれる人たちのなかに、背丈は私とあまり違わないのに(つまり、短躯なのに)、指が不釣合なほど長く、がっちりした手をした人たちを何人も見ているからである。 |