ジャージーよりジャス!
後藤彰三先生が出版された『胸ば張って仙台弁』は我が町にとって一大快挙というべきものであった。単に仙台弁を共通語の置き換えてみせるというだけでなく、単語の分布や音韻変化の特徴などについても言及されている。単語の分布については数年にわたる根気強いアンケート調査を目の当たりにしているので、それが結実したことは、誠に御同慶の至りと言わねばならない。
留守中、拙宅にわざわざ届けていただいた『胸ば……』を、恐縮しつつパラパラとめくり、あるページまで進んで、ぴたっと止まった。「ほうげんのらん」と題したコラムに「ジャスとは何ぞや」という一文に目が止まった。 ジャスは宮城だけの、あるいは宮城発の言葉で、仙台の女子高生か仙台大学の学生がちぢめてジャージーをこう言うようになったのか、とある。 二つの点が気になった。まず、仙台大学の開学は昭和42年であるから、仙台大学の学生だとすれば、それ以降とということになる。しかし、ジャスはそれ以前から使われていた。 記憶によれば、1960年頃、高校生だった兄が使っていた。確かめてみると、使っていたかも知れないが、自信がないという。話していて閃くものがあった。兄の担任で、体育の教師であったN先生なら、もっと確かなことがわかるのではないか。先生は現在、埼玉にお住まいである。 奥様が電話にでられた。兄の名を告げ、その弟であることを告げると、声がこわばるのがはっきりわかった。 −何かあったのですか? 普段の電話よりオクターブを上げて話したつもりだったが、奥様は予期せぬ電話に異常を感得されたもののようである。 考えてみれば、先生御一家がまだ槻木にお住まいだった頃にジャスという言葉を使いだしたのだった。 −ジャスという言葉を使っていませんでしたか? 後藤先生の御本に端を発する“ジャス論争”を説明し、そのように尋ねた。 −確かにジャスと言ってた。そもそもジャージーなんて言葉、なかったし。しかし、 僕らが使っていたということは、その’60年よりも以前から使っていたということになると思う。 また、 −その論争ですか、どんどん参加して下さい。 私が冗談めかしてジャス論争と言ったのを受けて、最後は野次馬的なコメントで切れた。 同じ頃仙台市内の中学校に通っていた弟にも電話してみた。彼ははっきりジャスといっていたという。 −お前のジャスはチャコールグレーじゃなかったか? −そうだよ。 −そうか、それじゃ、俺が着ていたのはお前のお古だったンだ。 当時のジャスには(少なくとも私が着たお古には)左側にポケットがなかった。私仕様であるためには、母を煩わせてポケットを付けてもらわねばならなかった。 当時、学校の「体操着」は白の木綿のパンツで、トレパンといえば、これである。トレーニング・ウェアがジャスである(そう、私は区別している)。 ジャス着用が許されるのは体育クラブの部員たちだけであり、したがって私には無縁のものである。 兄も弟も、特にスポーツ・エリートというわけではなかったが、兄はバレー部で、顧問がN先生であった。弟は幼い頃から足が早く陸上部に属していた。しかし、上背がなく、短距離を続けるには限界があった。 ともあれ、いつしかジャスはスポーツ・エリートが着用するもので、私のようなスポーツ劣等生が着てはならないものと考えるようになった。 弟のお古は何時着たかといえば、帰宅後阿武隈川の堤防を、隣町の境まで片道2キロ強を走るときに着た。この時は学校のトレパンではカッコ悪い気がしたのかも知れない。 普段着にジャスを着る人を、私は許せない。ジャスを着て授業をする教師を信じない、そんな思いを抱いていた時期がある。 何年か前、奈良かどこかの首長が、ジャスを着て授業をする教師に腹を立て、制服を着せると言ってニュースになったことがあるが、別の理由でジャスを着て授業する教師を好きになれない。それは今でもそうである。 なぜなら、ジャスは私のようなスポーツ劣等生が安易に着用に及んではならない高貴なコスチュームなのだから、所構わず楽だという理由で着ている態度は受入れがたいのである。 もっとも、私はこの冬、ジャスをパジャマ替わりに着ていた。朝方、飼犬の世話に飛び起きななければならない事態が度々あったからである。楽だった。そして、ますますそういう着方ができるジャスが嫌いになった。 最早、スポーツ・ウエアにとどまらず、ファッションにすらなっているジャージーに対し、こうしたこだわりを抱いていることに、いささか時代遅れの観を禁じえなくもない。 後藤先生の記事で気になった、もう一つのことは女子高生が流行らせたというくだりである。当時も女子高生が流行の発信源というものはあっただろうが、今ほどパワフルではなかった。60年代から70年代の、少なくとも初めまでは主な流行語の発信源は大学生、就中学生運動であったように思う。 思えば、現代の流行は女子高生、あるいは10代の少女たちが発信源となってあらゆる世代を巻き込んでいる。しかし、彼女らは本当にTVなどで見るほど元気印なのだろうか。あやつり糸が見えてならないのは年齢のせいか。 |