図書館を思う
それは故齊藤博先生の奥様、小島幸枝先生から平野博町長に宛てた礼状のなかにあった。手紙には、齊藤先生の遺言書のなかに、蔵書及び収集品の一切を柴田町に寄贈するとあるが、納めていただけないでしょうか、とあったという。町長の決断は早かった。
町長の指示を受けて、上京した折りに小島先生と遺言執行人の弁護士とお会いし搬入までの問題点などについて話し合った。 蔵書は大学の研究室や自宅など3ヶ所に分けてあり、その一部の目録を頂戴したが、最終的にどれくらいの量になるかはわからない。 今、住民が最も望む施設は図書館である。遠からず実現するに違いない。 もう、かれこれ20年ほども前になるだろうか、当時も従来のままの行政のあり方では新しい時代に対応できないとの危機感、改革は緊急の課題と認識されていなかったわけではなかった。今もなくなったわけではないと思うが、職員の提案制度というものがあり、これに、突然アクセルが踏み込まれた。なかば強制的に改革すべき課題に洗いだしが始まったのである。 私も何度か提出した記憶がある。その内の1点は最優秀とはならなかったが、優秀賞として金一封、確か5,000円を手にした。テーマは町に図書館を作るためのプロセスであった。 宮城県内の町村では、昭和27年に図書館が作られて以来(町の名は忘れた)30年近く1館も建設されていない、この時点で建設されたなら、まさに30年ぶりの快挙となるはずであった。統計書を見ると、宮城県が図書館後進県であることは紛れもない事実であった。 その後、図書館オープンのニュースを耳にすることになるが、30年ぶりの快挙の栄誉に輝いたのがどこであったか、憶えていない。 私はどのようなことを書いたのか。 一つの統計があった。半径0.8キロを境として、それより遠くの住民の図書館利用が極端に減るというものであった。1.2キロという統計もあった。それは、図書館は身近にあるべきだということを告げていた。 試みに、柴田町公民館、槻木公民館、柴田町コミュニティーセンターを中心点として半径1.2キロの円を描くと住宅密集地のほとんどをカバーすることがわかった。 当時の流れは分館活動を充実させて、つまり利用者のうねりを起し、最終目標として中央図書館を建設するというものであった。分館から離れている地区はブックモビールでカバーする。これは日野市立図書館の砂川館長の持論であった。 北海道常呂町。当時図書貸出し率日本一と言われた町である。日野市はこれに次ぎ第二位であった。砂川館長に常呂町のことを聞いたことがある。 −(日野市が)日本一になるのは簡単なことです。日野は一度に2冊ですが、常呂は 4冊。日野も4冊にすればいいんです。 現にある公民館の図書室の機能を充実させ、図書館をより身近なものと感じられるような状況を作って独立した図書館を作る。その段階でも分館を蔑ろにしてはならない。 また、ベストセラーなど、何冊も買うことになる本は流行が過ぎれば顧みられなくなり、いたずらに場所を占有することになる。そうした本を広域的に収集する施設も必要となる、というようなことが私の提案であった。 私の提案は一定の評価を得ることができた。しかし、それは図書館の必要性について説得力があったのではなく、データを提示して論を進めるという、ごく当たり前のことが評価されたに過ぎなかった。提案の書き方のモデルとしたい、金一封を受け取るときに聞いた言葉である。しかし、私の提案が公開されることはなかったし、図書館建設が前進することはなかった。 小波ほどの波紋も起すことがなかったが、それでも少しは図書館について学ぶことがあったのは財産だと思っている。 私はあるアンケートに答えて「私は一番図書館を必要と感じていない人間だと思っている。必要な本は自分で買ってきたし、これからもそうするだろう」と書いた。今でもそう思っているが、ぐらついているのも正直のところ現実である。 最も図書館を必要とする仕事をしてきた私だが、限られた予算で必要な図書を揃えることには限界があった。ついつい、自分で買ってしまう。本屋に無理を言って、一定の金額を毎月支払うことにして購入することにした。購入額が決まった額を下回っていれば問題ないが、残高が400,000万を越えていた時期がある。本屋だけでなく私もヤバいと思った。 私には図書館はいりません、と書いたのは多くはない手取りから毎月2万、3万、時には5万と本屋に貢いできた私の、せめてもの意地である。 少しカッコつけて言うと、そうなる。しかし、実はこういう事情もある。 私は必要な本、と書いたが、読みたい本とは書かなかった(と記憶している)。読書には精読、乱読、速読といろいろあるが、私の場合「積読」ツンドクである。いずれ必要となるだろうと感じたものも買ってしまう。自分のものになっていないと落ち着かない、「図書館にある」では嫌なのである。それに大勢のなかで本を読むことに慣れていないためか、落ち着かないのである。 カッコ悪いのである。 なぜ、ぐらついているのか。本を置く場所が限界に来ているのである。家人は私が本を買うことに神経をとがらせている。子どもたちは自分たちが読む本も買うことを嫌がっている。買わずに彼らは図書館を利用している。私は反面教師として子どもたちに図書館教育をしてきたもののようである。 蛇足だが、図書館がいらないのは私であって、私の町にいらないのではない。 とにかく、もう置く場所がない。買った本を処分できない。戌年生まれは物を貯め込む性分だと、小島幸枝先生がおっしゃっていた。亡くなった齊藤博先生を戌年生まれで何でも貯め込んでいたと笑っておられた。 そうだ、齊藤先生の蔵書だ! 今回の蔵書の寄贈が図書館建設のはずみとなることをなにより期待したい。同時に、私には寄贈された図書の活用法を考えることが新たな課題となった。 |