あっぺとっぺな話
娘との交換留学生として、カナダ人の娘さんを3週間ほど預かったことがある。1994年夏のことである。Jamieという名前であった。神経の細やかな、気立ての優しい、美しい娘だった。
実はJamieはピンチヒッターであった。初め来ることになっていた娘さんは、短期留学が決まって間もなく、両親が離婚したため、中止となったのだ。この娘さんのファイルを見て、妻と溜息を吐いた。写真を見る限り、売出し中の若手美人女優も斯くや、と思われるほど美人だった。しかし、そのための溜息ではない。ヴェジタリアンだというのだ。Jamieのファイルにはヴェジタリアンとは書かれてなかった。 私は、カナダの女性は皆美しいという信仰を私が持つようになったと書こうとしているわけではない(これもかなり、あっぺとっぺな話であるが)。 Jamieは日本に着いて、我が家に来る前にギョウザを食べさせられたという。娘によれば一口食べて、そのまま泣いていたという。おそらく、静かに涙を流していたのだろう、と想像した。このことがあって、日本の食事に対して極端に神経質になっていたことは、私たち、特に食事の支度をする妻にとっては不幸なことだった。 Jamieは我が家で何を食べたのだろう。胡瓜のスティック、トマト、レタス、これらを食べたのは確かだ。ジュースや牛乳も飲んだ。あとは、思い出せない。そうそう、チーズを食べるというから、ナイフと一緒にテーブルに置いても手を出そうとしない。切ってやると食べた。彼女の家の台所には包丁がなかったとは娘からの情報であった。 外で食事した時、例えば我々がミックスピザを注文すると、彼女はためらいながら、メニューにはないプレーンピザを注文できないか尋ねた。和食の店では御飯だけを注文したことを思い出す。 若い人たちは、話に相槌を打つように「うそ!」とか「まじ!」という。英語圏でそのまま対応する言葉かどうかわからないが、彼らはOh! my God という。 ところが、Jamieはこのフレーズを口にしたことがない。彼女の口から出るのはOh! my goodness というフレーズ、あるいは単にGoodness!という単語であった。 ある夜、私は彼女に教会に行ってるかと尋ねたことがあった。滅多に行かない、という答えであったが、何故、そのようなことを聞いたのか。 仙台大学のトーマス・大東氏は日本人が冗談めかしてOh! my God を口にすることを苦々しく思っていた。神Godを信じていない日本人がこの言葉を口にするのは慎むべきだという。当時、お笑いタレントの誰かがギャグで連発していなかったか。 そのことがあって、Godを口にすることを憚ってgoodnessといっているのかと思ったのである。 教会に行っていないからOh! my God とはいわず、Oh! my goodness と言うのかと聞いたのであった。Jamieは静かに笑って何も答えなかった。 英国の薔薇、ダイアナ元皇太子妃がパリ郊外に散ったのはそれから何年後のことだったろう。瀕死の重傷を負った彼女は、駆けつけた人たちに薄れゆく意識のなかで「大変、どうしましょう」「もう一人にして(あるいは、かまわないで)」と言ったと伝えられた。 もちろん、英語で発表されたものを日本語にして報じられたのである。TVでは日本語を英語に戻す作業がなされた。 「一人にして」はLeft me alone、「大変、どうしましょう」はOh! my Godだろうということになった。異論があった。ハイソな世界に通暁しているらしい人物からであった。 ダイアナさんのような上流階級に育った人は、たとえパニック状態にあってもOh! myGodとは言わない。彼女はOh! my goodnessと言ったはずだ。 Jamieに発した私の質問はかなり検討違いなものと思うが、このハイソな人の断定的なコメントも的に当っているようで微妙にずれていて可笑しかった。 可笑しくはあったが、Jamieが“お嬢様”だったこともわかった。蛙の人形ケロピーをもらって子供っぽくはしゃいではいたが、節度を弁えていた。一緒に来たカナダ人学生たちのなかに入ると、自然にリーダーシップをとる威厳を備えていた。賢い長女が妹や弟に対するのに近かった。 ともあれ、TVのハイソなコメンテイターのおかげで、カナダ人JamieのJapan-ese smileの意味がわかった。 そりゃそうだろう、自ら「教会は関係ございませんの。その方がお上品な言い方だからですのよ、オーホッホ」と解説できる類のお嬢様ではないのだから。 |