引札のヒロイン・ヒーローたち
人の動きのないこの時期、企画展示で人を動かすなど、どだい無理な話と諦めに似た思いが少しでもなかったか。そのような反省があって、少しでも華やかな印象の展示をして、地味な印象を払拭したいと思った。
郷土館が収蔵する華やかな資料といえば、槻木の遠藤武久さんから寄贈された明治から大正時代にかけての略暦付きの20点余の引札である。 遠藤さんのご先祖は下駄屋を営んでいた。その下駄屋さんが引いた(配った)引札、あるいは近所のお店のそれらが、きわめて良好な状態で保管されていたのである。遠藤さんのご両親は小学校の教師をしておられた。私が小学生の頃、お母さんは既に職を退かれていたが、母などはいまでも「下駄屋の先生」とよぶことがある。 私が小学生のころ、下駄屋を営んでいた当時の店先はそのまま残っていて、かつて商品が並んでいたであろう棚は児童図書で埋まっていて、近所の子どもたちに開放されていた。読もうと思って借り出すこともあった(が、熱心な読書家ではなかったことだけは自信があり、そのことは、今にして思えばきわめて遺憾である)。 寄贈していただいた資料は『柴田町史』の口絵に使わせていただき、また思源閣が開館して、第1回の企画展でも紹介した。このときは暦の変遷をなぞっていくなかで、略暦付きの引札の特異な存在と、槻木という、これといった特徴のない町で、それが配られていたことの歴史的な意義を検証したいと思った。 この時、全面的にお世話になったのが、小平市にある文化女子大学教授で、暦の会会長をしておられる岡田芳朗先生である。これが縁となって如心庵建設にあたっては腰張りに使う伊勢暦を寄贈していただくことにもなった。 今回も先生のコレクションに全面的に依存することになった。今回は暦の変遷よりはむしろそのデザインに注目した。 何が描かれているかを考えることは、その時代の人々が何を受け入れたかを知る手掛かりになるだろうし、ひいては典型的な大衆文化を探るよすがにもなるに違いないと思ったのである。 しかし、正直のところ、私の力はそのことを論ずる以前のものである。 何年か前、私は「土人形のイコノグラフィー」というタイトルの展示を企画した。イコノグラフィーは図像学と訳されるが、どちらもあまりなじみのない言葉だと思う。ギリシャ正教で礼拝の対象となる聖画像イコンから派生した言葉で、描かれた画像が聖書の記事やその後の聖人たちの事跡の何を表現したものかを解き明かす学問であり、ここからさらにギリシャ、ローマの神話をテーマとした絵画を解き明かす学問へと発展した。 先日の朝日の図書欄に、日本中世史家で、主に仏教の図像学がご専門の黒田日出夫先生が、ヨーロッパの図像学の変遷を辿った6巻からなる大部の図書の翻訳が出版されたことを紹介され、ヨーロッパのこの分野での研究の奥の深さに、意気阻喪する思いだったと書いておられた。 美術史家が、たとえばギリシャ神話の何を描いたものかを明快に解き明かしてくれるのを見聞きするにつけ、西洋絵画は無理でも、身近にある資料ぐらいは、と思うようになった。いわば、私にはあこがれの学問なのである。 振り返ってみれば、この「土人形のイコノグラフィー」というタイトルは「ただいま勉強中」ということを看板にしたようなものであった。 さまざまなデザインの土人形のテーマを表示しようとするとき、そこに表現されている要素で判断するわけである。たとえば、虎と闘う武将の人形であれば「加藤清正の虎退治」と判断することができる。伊達政宗も朝鮮半島で虎狩をしたかもしれないが、清正の虎狩のことが何に基づいたものかは知らなくとも、虎と闘っているのは加藤清正なのである。 土人形のテーマはそれほど多くはない。学問と大上段に構えるほどのものではないかもしれない。しかし、展示する以上は、これとこれとが表現されているからこうだと説明できなければならないだろうという思いはある。 そして、それは引札のデザインについても同じことがいえる。展示したものはだいたい説明できるものであったが、1点だけわからないものがあった。 明治44年の略暦付きの引札のデザインは、古代の貴族の装束を装い、弓を持った人物が猪にまたがっている図である。岡田先生は「猪に乗った八幡神」というタイトルをメモされた。 八幡神と猪との、何らかのエピソードがあったのか? いや、44年が亥年ということだろう。人物のまわりを鳩が飛びまわっている。この鳩が人物を八幡神と判断する材料だったのだろうという見当はついた。しかし、どのようなエピソードがあるかは聞き逃した。 桜の幹が削られてい、蓑を着た武将が筆を持っている。南朝の忠臣児島高徳であることはわかるが、桜の木に何を書いたのかは不勉強であった。 図像という狭い範囲でみれば、わが国のこの分野での歴史は浅い。が、文学の分野に置き換えてみると、和歌や俳句は先人の優れた作品を踏まえるがゆえに限られた文字で広大な文学世界を描きえたということができる。極め付けは中国文学であろう。正確に理解するためには、極端に言えば、漢字一文字一文字がこれまでどのように使われてきたかを踏まえなければ、無理なのではないかという無力感に襲われる。 どの国にもその国民共通の文化の基底をなすものがあった。今回の引札のテーマに限っていえば、教室で学んだ知識というより、漫画のなかや、ラジオ放送から得られた微かな記憶が勝っていた。だから、岩見重太郎の狒々退治のお話は知っていても、重太郎が大坂夏の陣で、片倉小十郎の軍勢と戦って討ち死にしたという史実は知らなかった。 ヒロインやヒーローは時代が生み出し、時代が葬り去る。資料館の仕事にたずさわる者は時代が葬ったものを掘り出す術を身につけなければならない、「興味津々」の旗印を掲げて。 |