古書店にて
上京。時間ができたので、御茶ノ水に下車。駅から明治大学への道筋の楽器屋街には辟易するが、大久保彦左衛門屋敷跡を過ぎると、古本屋街のたたずまいが少しずつ見えてくる。
三省堂近くの、目当ての古本店はシャッターが下りていた。少し先の、開いている店で『西日辞書』を見つけて開く。 書名は正確なものではない。要するに、戦国時代末期、日本に伝導に来たカトリックの神父が編纂した「スペイン語・日本語辞書」である。辞書とはいっても、「西日」の原本の翻刻のみならず、「日西辞書」や研究論文も含めて 200ページほどの本で、辞書というより、現代ならば単語帳といったほうがよいのかもしれない。 「日西辞書」のHのページを開く。見出し語はたったの二語、それも単語とは言いにくい擬音まがいのもの。してやったりとFのページを見る。と、ここは単語がいっぱい、つまり、複数のページに及んでいる。 『日西辞書』の編纂者は日本語のハ行を表記するのに、例えば「橋・はし」を表すのに《HASHI》とは表記せず《FAXI》と表記した。そのことを、数ページにわたって確認することができる、ということである。 実は、このことは私には予測できたことである。 この時期に、カトリックの神父によって編纂された辞書で、夙に名が知られているものに『日葡辞書』がある。日本語をポルトガル語で語釈をつけ、用例まで付けるという本格的なものである。 400年前の日本語の宝庫である。 『日葡辞書』を初めて聞くと言うなかれ。もし、広辞苑をお持ちなら、アット・ランダムにページを開けば、必ずや用例の終わりに「(日葡)」と典拠が示してあるのに出会すだろう。 大げさにいえば、『日葡辞書』からの用例の引用のないページをさがすのが困難であるというくらいに引用されているのが、この辞書なのである。 なぜ、『日西辞書』を手にしてFのページを見たのか、そして、してやったりと思ったのか。 1992年、仙台の宝文堂から『ファシクラ伝』という本がでた。支倉常長の渡欧の事情や苦労を漫画でわかりやすく描いたものである。 本の内容を論う材料を、私はもっていない。ただ、タイトルを目にしたとき、ヤッチャッタ!と思ったのだ。 『日葡辞書』は岩波書店から翻訳されている。再版の広告を見て、20数年前とびついた。そして、Hの見出し語がなく、ハ行はすべてFの見出し語であることを知ったのだ。つまり、FAだからといって「ファ」と発音されていたわけではないのである。 『ファシクラ伝』の作者は、英語の教養で、つまり義務教育レベルのそれで、常長が署名したというFaxicuraをファシクラと読んだのだ。 しかし、それは誤りではないか、という趣旨のことを雑誌『仙台郷土研究』に書いたことがある。 反応があった、1件だけ、しかも、仙台郷土研究の仲間の先生から。 −秋田の学校に赴任して驚いたことに、当時秋田ではハではなくファなんですよ。 ハシクラ(かけっこ)ではなく、ファシクラなんです。 あわてて自分の文章を見直した。ファ音はなかったとはどこにも書いていないことを確認して、しかし、自分の指摘は正しかったのだろうかという思いが不図よぎる。 間違ってはいないと思う。おそらく、ラテン語の教養が解決するのだろう。 仙台郷土研究に書く前に、念のためホームスティしていたケベック(カナダ)からきた男の子にFaxicuraを発音してもらった。彼はケベックの公用語フランス語は当然のこと、英語は日本に来て覚え(−と、本人が言っていた)、父はスペイン語に教師で、その薫陶を受けているし、姉はブラジルに留学していたのでポルトガル語も話せるという。もちろん、日本語も。 それぞれの言葉の読みで発音してもらったが、大差はなく、日本語にすればファクシキュラということになる。 それはそうだろうと思った。Dateを日本語として読むから伊達だが、英語読みにすればデイトだ。余談だが、伊達政宗がローマ法王に宛てた書簡では伊達はIdateと表記されているという。 『西日辞書』を手にしたのには、そのような事情があった。 翌日、来月から始まる企画展の展示資料の借用をお願いするO先生は夕方まで講義があるとのことで、再び目当ての古書店に向かう。以前訪れたときに、涙を飲んで別れた資料は、私を待っていてくれた。1ページが縦7・5p、横12p、これに1行18から20字16行の文字を想像できるだろうか。白紙もあるが、文字の書いてあるページだけ数えると60丁強(120ページ)。単純計算で約4万字の明治元年の日記である。記録者は大田喜藩の重臣と思われる。 |