NO-17

史実と虚構と……

 来春、伊達騒動をテーマにした企画展を考えている。といっても、騒動の真相に迫ろうなどと考えているわけではない。騒動についての解釈に一石を投じようとの目論見があるわけでもない。身のほどは弁えているつもりである。
 タイトルは「虚構のなかの伊達騒動」、あるいは「フィクションとしての伊達騒動」を考えている。
 江戸時代、実録体と呼ばれる読み物があった。伊達騒動については仙台市の渡邊洋一さんの労作『「実録体小説−伊達騒動物−」についての考察』がある。あたかも史実に則して、資料を踏まえての叙述という体裁をとっているため、しばしば史料批判なしに使用されてきた。
 ある時期までの伊達騒動についての、一般の知識はこうした実録体小説に基づくものであったに違いない。ある時期とは山本周五郎の『樅ノ木は残った』が発表された時期、あるいは、この小説がNHKの大河ドラマとして放映された時期といってよい。
 かつて、史料採訪する過程で、「伊達騒動顕秘録」といったタイトルの写本を何度か目にした記憶がある。当時の私はフィクションに史料としての価値を認めることができず、注意を払うこともなかった。
 江戸時代に系図屋と呼ばれる人々によって編纂された、天皇家にまで遡る系図について、系図屋作だからといって、その価値を全否定してよいものだろうか、単に価値を見いだせずにいるだけではないか、利用法がわからないだけなのではと考えていた私が、「実録物」を無視していたのは自己矛盾とでもいうのだろうか。
 虚構性の強い系図の価値を、私はいまだ指摘できない。「伊達騒動顕秘録」などの実録物についても同様である。
 しかし、後者について言うならば、あたかも大事件の真相について、あることないこと暴きたてる週刊誌の如く、さまざまにタイトルを変え作られた、その背景が私の最も興味をそそられるところである。
 どのような過程を経て、悪役、ないし悪人原田甲斐像が付くられていったのか。なぜ、長い間、多くの人をひきつけてきたのか、などなど思いを巡らせていた折も折、『ジパング倶楽部』の記者小山守さんが取材に見えた。担当する雑誌のなかで名作の旅というようなシリーズものの取材である。名作とは当然のことながら『樅ノ木は残った』である。
 取材の中心は、わが郷土館で原田甲斐に関するどのような資料を見ることができるか、という点にあるのだが、残念ながら満足してもらえるような資料は所蔵していない。ために、取材は必然的に、あるいは義理で、私がこの作品10を、そして原田甲斐という人物をどのように思っているかという質問になる。最も苦手な質問である。
 『樅ノ木は残った』が優れた文学作品であるという点については、私も全くその通りだと思う。
 酒井雅楽頭邸における惨劇の場について、最初から騙されまいと眉に唾を付けて読むのだが、読むたびに納得させられてしまう。私如きが納得させられて作品の完成度を云々するなぞ、烏滸の沙汰というべきであるが、私の判断の基準は矢張、この納得させられてしまうという一点である。
 しかし、優れてた文学作品の主人公としての原田甲斐と、歴史を学ぶ立場で考える原田甲斐像とは同じではない。そのギャップが生み出した悲劇を、何年か前に経験した。
 あるカード会社の研修で原田甲斐の話をしてくれと頼まれた。『樅ノ木は残った』の原田甲斐に添った人物の話はできないと断ったが、私の考える原田甲斐でよいと、交渉に見えた事務局の方が言うので話すことにした。
 私の描く原田甲斐は教育ママに教育されたエリート役人ということに要約できた。話が終わって、研修会の主催者の代表は、柴田くんだりまできて、マザコン男の話を聞かされるとは思わなかったと不快感を隠さなかった。
 交渉に見えた事務局の人たちには申し訳ないという思いがある一方、代表のあけすけな感想に苦笑いを禁じえなかった。そして、聞き手がどのような話を望んでいるのか、聞き手が漠然と描く甲斐像に添った話をすることも、時には必要なのだと知った。もちろん、知ることと出来ることとの間には大きな隔たりがある。
 『樅ノ木は残った』と史実との関係は、故大池唯雄先生の次の文章につきると思う。小説は直ちに史実ではないのだが、多くの読者はすぐ史実と思いこみがちである。傑作であればあるほどそうなる。この現象は興味あるものだったので、山本さんに申しあげたことがある。
   「おどろきました。あれはもうそのまま史実だと思われています」
   山本さんはちょと改まったような態度で、まじめに、
   「わたしもあれが史実だと思っています」
    といわれた。この答えは私にはいささか意外なものだったので、ここに記録しておきたい。それくらいの確信がなかったならば、これほどの作品は書けないのだということをしめしてえるように思われる。
    「『樅ノ木は残った』」の作者をめぐって」山本周五郎小説全集8月報所収