NO-13

はまると怖い「地名の呼称」

 「年月日」は誰でもネンガッピと読むだろう、文部省の国語教科書検定官だって。確かめていないから、多分。しかし、どんな漢和辞典を開いても「月」をガッと、「日」をピと読むとは書かれていない、多分、常用漢字を知らせる官報にも。
 でも、年月日はネンガッピである。
 この熟語であったか、新聞記事を探しかねたが、記事の趣旨は文部省検定教科書にその読み方がなくとも、誰もが疑うこともせず使われているという記事が、9月初めか8月末の朝日新聞に載っていた。
 記事を見て何と余計なことを!と思った。記事の内容は検定教科書の検定なるものを揶揄しているように思えたが、文部省に、つまりお上に認められなければ不安なのかよとからかいたくなるような気持ちであった。
 そのうち、月の読みにガッが加えられ、日にピを加えるにちがいない。加えなくちゃと思うだろう役人の心の動きが私にはどうしてもなじめない。
 官報にない読み、諸橋大漢和にもない読み。探しはじめればきりがないだろう。そのようなことは漢字使用の大前提としてあるのだということを確認しなければ、私たちの文字文化そのものが崩壊する。そして、検定官の教養の中に、その前提がきちんと根付いていることを期待したい。
 これを認めなければ成り立たない最たるものは地名である。そうでなければ、及位と書いてノゾキとよむ地名の存在そのものが成り立たない。ノゾキを及位と書いてきた歴史そのものが否定されるということになる。
 メリットがあるとすれば、地名辞書や地図帳に難読地名のページをなくすことができることぐらいのものか。それを強調する人には地名を題材にしたクイズがやりにくくなるよ、と言っておこう。
 よその話ばかりではない。例えば、船迫、フナバサマ。受難の地名である。
 団地ができて船迫小学校が誕生した。校名を何と呼ぶべきか議論になった。おそらく、バサマという響きを問題視する人がいたのだろう、迫をバサマとは読まないと主張する人もいただろう。
 船迫は藩政時代、しばしば舟廻と書かれた。他国の者が舟迫を読み違えたのだろうと思っていた。しかし、地元の人間の文書にも紛うかたなく舟廻と書いているのに出会して、他国者の読み違いではないと思うようになった。茨城県には廻戸と書いてハザマドと読む地名のあることも知り、確信に近いものになった。
 とまれ、船迫小学校はフナバサマショウガッコウということになった。地元の人間の発音を尊重したものと、その見識を評価したい。
 この旧船迫村は団地ができたため、古くからの住民より新しく住民になった人たちの割合が最も高い地区である。その新しく住民になった人たちの中にはフナバサマという響きになじめないのか、迫はハザマと読むべきであるとの確固たる信念のもと、フナハザマと呼ぶ人たちがいる。
 方言が嘲笑されたような不快感を覚えるのは私だけなのだろうか。
 いかがかとは思うが、口をさしはさみたくなるよその話もある。
 何年前になるか、生まれて半世紀、一度だけ私は新聞に投書したことがある。どうにも耳障りでストレスが溜ったからである。万に一つの期待も、予想どおり外れてボツだった。
 ところが、この夏、同じ趣旨の投書がきっかけとなって議論が沸騰し、当該町の議会の9月定例会一般質問にまで提出されたというのである。
 七ヶ宿はシチカシュクかシチガシュクか、というよそ様のお話である。
 私の投書は様々な地図帳や地名辞書の類からカはおかしいというものだった、と記憶している。この夏、火を点けた投書はそれでは門前払いでボツになることを知っていて、明治の当地の条例から現在の条例も引き、条例に基づくかぎりカが正しい、しかし、カはおかしい、といって火が点いたのである。
 国語の権威ある先生に聞いた結果だ、と何かの会議で同席した七ヶ宿町の職員は、眩しそうに目をしばたかせながら説明してくれた。
 彼の説明が公式見解であることを、私は9月半ばの河北新報の記事で知った。
 宿場が七箇所あったことから「七箇宿」、さらに「七ヶ宿」になった経緯があるため、「条例制定当時は、『箇所』が基になった『ヶ』は、『が』とは読まないという結論になった」というのが七ヶ宿町長の回答である(9月14日付河北新報)。
 この見解は極めて偏狭な「ヶ」の理解と言わざるをえない。ヶが箇の竹冠の一部が省略されたものであることに違いはないが、物事を数える語としての箇から独立して用いられ、ヶと書いて「が」と読む例は少なくない。金ヶ瀬はカナガセであり、カナカセではない。洞ヶ峠はホラガトウゲである。
 それらは箇所、つまり数量関係を示す助詞ではないから、当面する問題からずれているというのであれば、七ヶ浜、あるいは七里ヶ浜を挙げれば十分ではなかろうか。それでも納得できないという御仁があれば、近くにある国語辞典を手にしてサンガニチを開いて御覧になるといい。「三箇日」とある。これをサンカニチとは読まないだろう。
 わが駄文は深更に及んでも結論をみない。あきらめて、ふとんにもぐり、うつらうつら、どのように結ぶか考えていた。と、これは新たな町おこしで、私もまんまとそれに引き込まれていたのではないか、という思いが突然湧いてきた。
 一つの町の名が、何度も新聞、ラジオで取上げられるのだから、ましてこうした問題は参加しようと思えば誰でも参加できる。うまい!思わずうなってしまった。
 ならば、積極的に参加しよう。で、どうしてもカと読みたい仁のために、無い知恵しぼって、こう提案したい。
 七をシチと読まず、ナナと読んでみてください。ナナガシュクは読みにくいでしょう。この場合、多くの人に進んで、ナナカシュクと読んでもらえるに違いない。
 組み合わせで辞書には無い読みが許されるという、私の冒頭の説も生きるし、ヶはカと読まなければならないとする主張もクリアできたし、七をナナと読まないとは言わせないよ。七里ヶ浜に三箇日?あゝ、それがあったのね。忘れて。
 で、どう、私の提案。だめ? だろうね。