「知っていること」と「分かること」
柴田町の平野博町長は8月末、約10日間にわたる北米研修旅行に参加した。そして職員への研修報告を、ロサンゼルス郊外の小さな町での感動的な光景でしめくくった。
日本の常識からすればはるかに小さく、劣悪なゴミ処理施設。そこに設置された分別用のダストボックス。ここに、子供連れの主婦が車でゴミを持ってくる。定められたとおりに分別されたゴミを、小さな子供たちが母親に促されるまでもなく定められたボックスの投入口に、届きもしない背を、それでも精一杯伸ばして投入しようとしている。 同行の首長諸氏も一様に、この光景に感動したという。 何に感動したのか。 幼児期からの家庭での躾の大切さ、それがゴミ対策の基本であることに豁然として理解できたことなのか。将又、小さな政府を実現しようとすれば大規模な施設をつくること以上に住民の自覚、己の責任において発生したものは自らの責任において処理するという理念が最も大切であることに改めて思い至ったということなのか。 ウェイトがどちらかによることはあっても、おそらく双方を理解して感動したのだろうと解釈した。そして、「知っている」ということと「分かる」ということは別のことなのだ、だから、これまでも多くの職員を海外研修に参加させてきたし、これからもそうするつもりである、とロサンゼルス郊外での目撃体験を結んだ。 私は小さな政府を頭のすみに置きながら、別のことを思っていた。 6、70年代を代表する前衛舞台芸術家、紅テントの唐十郎と天井桟敷の寺山修司の、劇団員を巻き込んでの喧嘩である。喧嘩の背景に、相入れない芸術上のスタンスというものがあったにしろ、素人目には、かつて中学生がただすれ違っただけで殴り合いを始めたというのに似た、有り余るエネルギーを発散させる捌け口にしかみえなかった。 公演の千秋楽に葬儀用の花輪が届いた御礼に殴り込みをかけて新聞をにぎわす、といった具合である。唐が芝居、役者という言葉を使えば、寺山は演劇であり、俳優である。 東京の下町生まれの唐は、青森出身の寺山を田舎者と断じた。青森出身だから田舎者と評したのではない。青森弁丸出しの喋り方だから田舎者と言ったのではない。 「寺山は本で読んだ東京しか知らない。(本で知ったことをその通りにやろうとする)だから、あいつは過激になれるし、だから田舎者なんだ」と断じたのである。そして、そう評されることを誰よりも口惜しがることを知っていたから、そう言って挑発し、からかった(のだと、私は思っている)。 遠目にではあったが、一度だけ寺山を見たことがある。ダークスーツに包んだ長身は東京都美術館の玄関の階段の途中にあった。左足を一つ上のステップに載せ、右足を真っ直に伸ばしたポーズは、見栄を切っているようでもあった。 寺山は市街劇という演劇形態を提唱した。人はそれぞれの人生を演じている、ならば社会生活こそは最大の虚構だとして、役者が町中に出没して通行人等をその演劇世界に巻き込もうとした。 私がみたのは、寺山のそうした演劇の上演中の寺山であったかも知れない。 私が思い出せるのは、長身をスーツで極めた寺山であり、小太りぎみの短躯に巻きついた唐の腹巻である。 思うに、寺山は様々な読書を通じて、お洒落とはなにか、ダンディズムとはなにかを、つまり、「東京」を学んだ。その文学作品とは裏腹に、寺山のお洒落には「教科書」がちらつく。「教科書」には「くずす」ことが書かれていない。 本を読めば、どのようなスーツがカッコいいかは知ることができる。しかし、どのようにくずすか、着こなすか、つまり「粋」という生活のなかで身につくものはわからない。読書で武装終了した寺山は生活のなかで身につくものを拒んだ。 寺山の装いは、結局、野暮で、田舎者のそれだった。 十数年前、なぜか無関係な英語教育のことに話しが及んだ酒席でも、私は「本で知った東京」という唐の、寺山に対する批判、ないし揶揄を思い出していた。 酒席で、M先生は reading教育の重要性を声高に主張していた。外国の思想を理解するには外国の書籍を読まなければならない、読めなければならない、というのである。 しかし、と思いながら聞いていた。外国の複雑な思想を理解しようとする程の人にとって、reading力は必要とか不必要を論ずる以前の、大前提であろう。それはその道の人がやればよい。 なぜ、英語を学ぶかといえば、英語を通じて相手を理解するためである。相手とは目の前にある英文の大論文かもしれないし、日本を旅行中のカナダ国籍のネイティヴかもしれない。しかし、カナダ人と会話もできない人間が英文の論文にいどむというシチュエーションは極めて特殊なケースである。つまり、とりあえず会話である。 もう一つ、書籍にはその国の普遍的な思想・真実が記されているという幻想がreadingを重視する考え方にはある。しかし、書籍に書かれていることは珍しいこと、奇異なことだけであり、常識的なことは本にならない、という見方もある。 読書だけから得た知識は往々にしていびつで、過激になりやすい。それを修正するのは社会生活のなかでの経験である。社会生活を支えるのは会話である。「知っていること」と「分かること」の関係に置き換えてもよいかもしれない。 私は歴史を学んでいる。研究の対象は紙に記された事柄である。その内容をそのまま史実と信じ込むわけではないが、油断をすると陥穽にはまり込む。それを修正するのは経験であり、習慣であり、伝承、つまり民俗学であると思う。 と、本ページ向けにまとめたが、ちょっと、無理があったかな? |