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村井さんの客間で

 村井芳子さんは司法書士事務所のオーナーである。お会いすると、すてきな笑顔に優しく包まれる、そんな女性である。お邪魔してお話をうかがうと、驚くようなBig Nameが村井さんの身近にいたことを知らされ興奮させられることがある。
 そうしたBig Nameは村井さんの知り合いであったり、村井さんのお父上の友人であったり、さらに、今なお愛惜やまぬ夫君、故光三氏の知己であったりする。
 村井さんのアイデンティティーの一つに光三氏の母校、東亜同文書院がある。そのことから、書家を敬愛し、中国からの留学生や詩吟愛好家たちへの支援する生活となる。東亜同文書院は中国の文化に親しみ、日中両国の親善に参画する人材を育成する目的で、1900年5月、南京同文書院として南京に設立された。同年、義和団事件が激化い、上海に移転し、翌年東亜同文書院と改称した。1939年、大学令による東亜同文書院大学となった。
 歴史的評価としては中国侵略を推進する機能を担ったとされるが、当初の設立目的は光三氏を通して村井さんのなかに純粋培養されて息づいている。
 先日、アポイントメントなしにお邪魔した時、村井さんはスタッフに仕事上の指示をしている最中であった。恐縮して玄関先で借用物のお礼を述べて帰ろうとしたら、例のすてきな笑顔に会って抗しがたく、プライベートな客間に案内されて、宮崎滔天の書を見せていただいた。
 人生50年、半分は寝て暮らし、残った何年かは居眠りし、さらに何年かは転寝する、差引すると、となんともとぼけた文章である。後半部に「まともな」ことが書いてあったのかもしれないが、中国革命に半生を捧げた滔天の大陸的なおおらかさに興味がひかれて、憶えていない。
 同文書院大学は戦後廃校となった。その財産、図書などは私立愛知大学に寄付された。村井さんはいずれ件の滔天の書を愛知大学におさめなければと思っている。
 村井さんは、旧姓を青木さんとおっしゃる。その青木姓に連なる興味深い女性が鞄本図書センター刊『日本女性人名辞典』に見える。まず、それを紹介しよう。
 青木鶴子 明治24年(1891)〜昭和36年(1961)
 明治〜昭和期の俳優。本名ツル。福岡市に生まれる。新派の始祖川上音二郎の妹川上カツの娘。音二郎・貞奴の夫妻に養育された。明治32年(1899)川上夫妻渡米の際、子役として同行「楠公湊川の子別れ」「道成寺」などに出演したが、興業が失敗してサンフランシスコ在住の画家青木瓢斎にもらわれた。瓢斎の死後、同市の女性記者に引取られ、ロサンゼルスのイーガン・ドラマチックスクールに学び、早川雪洲と知り合い、大正2年(1913)雪洲と結婚。雪洲が上演した「タイフーン」を鶴子が映画監督トマス・インスにみせたことから映画化され、雪洲は一躍ハリウッドのスターになる。二人は「呪の焔」「桜の光」「明暗の人」「勇気ある卑怯者」「血の力」「黒バラ」「かげろうの命」などで共演。同11年雪洲とともに渡仏、日本海海戦をテーマとした「ラ・バタイユ」で雪洲と共演した。その後は欧米で活躍する雪洲の留守を守り、雪洲がボードビルの女優に生ませた混血の子も引取って二女を育てながら戦時中は貧苦に耐えた。戦後はアライド・アーティスツ映画「戦場よ永遠に」に雪洲と出演。日本人初の国際女優であった。69歳で死没。
 村井さんのお話でこれを補うと次のようになる。画家青木瓢斎は村井さんのお父上の叔父にあたる人物で、渡米して作品を売りながら北米大陸を横断、東海岸に着いたときには一定の成功をおさめていた。川上夫妻から鶴子を引取ったとき、瓢斎は夫妻になにがしかの金銭面の援助をしている(直截な言い方をすれば、川上夫妻は鶴子を瓢斎に売ったのである)。
 村井さんのお父上は雪洲・鶴子夫妻と早くから交流があった。村井さんも記憶しておられる。お父上と横浜港まで見送りにいったこともある。ところが、何かの機会に、雪洲が「有名になると親戚が増える」と話していたのが耳に入った。「あいつには、オレも、有名になって増えた親戚の一人なのだ」と交際を絶ったという。
 雪洲・鶴子夫妻に子どもはなく、鶴子は雪洲が外の女性に生ませた子どもを育てたという。先述の辞典には二人とあるが、村井さんによれば三人である。
 戦時中はだいぶ貧窮したもののようであるが、先のお父上の怒りがあり、また、村井さんが大病を患ったため転地したことなどもあって、自然音信が途絶えた。
 音二郎、貞奴、雪洲。いずれも伝説をまとって近代日本を駈けぬけた人物である。それらの人物が身内話のなかに出てくる。いずれも少し大きな国語辞典にも見出しとして出てくる。鶴子は女性中心の人名辞典に見えるだけである。
 しかし、人間の大きさでは少なくとも二人の男性よりは大きく見えてくる。成した仕事の大きさ、或は掴んだ名声と人間の大きさとは必ずしも正比例ではないのかもしれないとあらためて思った。