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雨 乞 幻 想 A

 1996年12月1日、この日は近年では珍しく早々と積雪をみた。所用があって雨乞のイチョウを訪ねることがあった。加藤さんが出迎えてくださった。
 今年は葉が落ちきらないうちに雪が降った、と加藤さんはおっしゃる。確かに吹溜りのここかしこにイチョウの黄葉が積もってはいるが、高いところの裸の枝を除けば、この木だけは、まだまだ初冬というより晩秋のたたずまいを感じさせた。
 加藤さんが続けて言う。いつもの年なら1時間ぐらいの間に全部の葉が落ちて、その後に雪が降るもんだけど、今年は違ってた、どんな冬になるもんだか、と。
 東西27m、南北25mにも及ぶ枝張りをもつこのイチョウに、どれだけの量の葉がついているものか、私には想像外のことだが、まだ大量に残っている目の前の巨木から一斉に落葉が始まる様を想像して、私は言葉を失った。
 初冬の朝、空は雪雲に覆われ、風はなく、まだ寒さに慣れぬ体には厳しい冷え込みだが、実際にはそれほど気温は低くない。取り入れの終わった田圃には人影もなく、眼下の丘陵のそこかしこから、落ち葉を燃やしているのであろうか、白い煙が幾筋か、まっすぐに立ち上がっている。そんな日に、突然前触れもなく一斉にイチョウの葉が散り始める。やがて、激しく落下する黄葉は、黄色の玉簾を下ろしたように視野をさえぎり、ひとしきり続いた葉っぱのスコールが静まり、最後の一枚が枝を離れるのを待っていたかのように雪が降り始める。
 加藤さんの言葉を自分なりにこのように翻案してみたのだが、その様子を頭のなかで視覚的に再現するには、私の想像力はあまりに貧弱すぎた。そして、自らの想像力の貧弱さを隠蔽するために、加藤さんの言葉の矛盾するところを探しだしていた。自然界の営みが、そんなに時計仕掛けのようにうつろい行くものだろうか、と。

 

 いや、加藤さんは一斉に葉が落ちて、そのあとすぐに雪が降ると言ったわけではない。葉が落ちてすぐの年もあっただろうし、翌日のことも、一週間後のことも、さらには二十日後ということもあっただろう。そうしたことも含めての、「葉が落ちてから雪が降る」ということなのだろう。
 しかし、雨乞のイチョウの落葉は例年12月の半ばころである。これに対して積雪は最近でこそ12月、あるいは年明けであるが、かつてはもっと早い積雪を記録することもあった。とすれば、やはり毎年「落葉の後に積雪」とはいえないのではないか。
 加藤さんの言葉の矛盾を、それこそ重箱の隅を突っつくように探していて、ひとつの真実に行き当たった。
 加藤さんの話を聞いて私が想像した情景、つまり底冷えのする風のない初冬のある日、一斉にイチョウの葉が散り始め、積もった黄葉に初雪が、という光景を、加藤さんはかつて目撃したことがあるに違いない。その時の強烈な印象が、落葉と初積雪との関係は年により多少の狂いはあっても、加藤さんの意識のなかではその強烈な印象によって修正され、同じ光景となっているのではないか。
 何年か後、TVで加藤さんがおっしゃるのと同じように、一斉に始まるイチョウの落葉のことを聞いたことがあり、加藤さんの意識のなかでの修正という考えが正しかったかという思いがあるが、その時の私は自分の「翻案」が間違っていないことをひとり確信して、いまに始まるかもしれない僥倖を期待してイチョウを見上げていた。