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雨 乞 幻 想 @

 柴田町入間田に愛宕山という、町で一番標高の高い山がある(293)。その中腹に民家が3軒あり、小字を「雨乞」と書いて「あまご」という。
 南向きに並んで建つ民家の、麓の方に柚子畑が広がる。陽当たりがよく、山の斜面が寒風をさえぎってくれるのだろう。標高150ないし200mの高さでは、冬場になると温度の逆転現象が起きて、麓より気温が高い状態になると聞いたことがある。
 何年か前までは「北限の柚子」というキャッチフレーズで、収穫期である初冬の風物詩として、たびたびテレビのニュースでも紹介された。
 福島市の信夫山の中腹の柚子が「北限の柚子」として報じられた時には、放送局の無知を笑いながら、気温の逆転減少のことを思い出していた。しかし、秋田の「北限の柚子」が報じられてからは、紹介するにも一瞬ためらいを覚えるようになった。
 しかし、どこまで北限が北上しようとも「雨乞の柚子」の芳香には何の影響もない。スダチやカボスのように果汁を楽しむのではなく、皮を利用する柚子は暖地の柚子より皮が厚くなる寒い地方のもののほうが良質と評価されるようである。
 この雨乞地区には柚子に加えてもう一つ有名なものがある。国指定の天然記念物「雨乞のイチョウ」である。推定樹齢600年、乳房状の突起が垂れ下がった「乳」の発達がきわめて顕著で、全国に「乳イチョウ」と呼ばれているイチョウは少なくないが、雨乞のイチョウに比べたら、数多の子供を育てあげた母親の乳房と、脹らみ始めた少女のそれとの違いほどの差がある、と私は思っている。思っているだけで確かめたわけではない。写真集などを見ての思い込みである。

  

 「乳」は古木の証明ではないと思う。私が小学生のころ、学校に隣接するお薬師さん(久須志神社)には直径30pほどのイチョウがあり、すでに何本かの「乳」が見られたことを記憶している。小学生時代の記憶ではあてにならぬと思うなら、仙台市の晩翠通のイチョウの街路樹を丹念に調べるがいい。まだ垂れてこそいないが、突起を確認することができるだろう。
 わが家のミズキにも微かではあるが、突起が見られる。もっとも、黒子を乳首とまちがえたと笑われそうであるが。
 雨乞のイチョウは3軒の民家のうち、西側のお宅、加藤鶴治さん宅の庭先の斜面にある。雄株なので実はつかない。樹高は31mと指定書にはあるが、実際はもっと低いのではないかと思っている。1975年8月25日夜半に秋田沖を北上した台風によって、最高部の幹が10mほど折れたからである。
 なぜ日付まで記憶しているか。その日の夜、友人2人と田沢湖を見下ろす高原の宿で、昼ならば通過する台風が見えたかも知れないと半ば本気で思いながら酒を呑んでいたからである。翌日、仙台に戻って一人の女性と待合せをしていた。後に結婚を申し込むことになる女性と会った前日だから記憶しているのか、田沢湖を見下ろしながら酒を呑んでいた夜のことだから憶えているのか、そこのところはわからない。
 とまれ、その後も枝折れの被害は何度かあったが、私の記憶では75年の被害が最も大きかった。  (つづく)