先日のことである。ある人から本人一番のお気に入りのものを見せられた。相当長い講釈付きである。この類には講釈は付きものらしい。関心はするのだが、どうみても自分にはただのガラクタにしか見えない。申し訳ないが、彼と自分にはこの瞬間、北極とアフリカ・タンザニア程の温度差があるように思えた。それはそれで貴重な体験なのだが、少々淋しい。この差はきっと一生埋まりそうも無い絶望的な差である。が、はて、自分に立ち返って考えてみると、立場が逆転するだろうことが多いことに気づいた・・・
誰にでもあるだろう、一つや二つ。心を大きく突き動かされ魅了されてしまった経験、出会い。そしてのめり込んでいった自分。“趣味”といった言葉の響きではあまりに軽々しくいい当たらない。いわゆる・・コレクター、・・通、・・病、・・マニア、といった範疇である。この類の人達は人より“楽しくなれる”“心を豊かにしてくれる”そんな時間と空間を創造する引出しが多い分、感性という感度が高い分、とても幸せなことだと思うのである。ただし、当然だが“病”を併発すると心身が持たない。身を滅ぼさぬ程度にしたいものである。 最近、巷では密かに“そば”の病に冒された人々が増えつつあるとのこと。脱サラまでして、究極の・・・とか、こだわりの・・・とかを掲げ、店を開いた。などといったことを耳にする機会が多くなった。相当魅力のあるものらしい。 今回は、そのひとりを紹介する。店を出しているわけではないが、自称「そば通」。ある時は鐙摺(あぶずり)蕎麦会長、ある時は柴田町「太陽の村」手打ちそば教室専属インストラクター、ある時は・・・しかしてその実体は・・・いまだ良くわからない。 その人物は、柴田の自然豊かな奥深い地に住む平間盛秋氏。ご登場いただき、そばへの熱い思いを語ってもらった。 “そばよもやま話” 数年前、仕事の関係で会津地方の山深いある農村に行ったことがある。 今やグルメ番組による影響か分からないが、とにかく“そばブーム”である。
特に、ざるそばも良いが、土地の野菜(大根・人参・ゴボウ・油揚げ等)を細切りにし、ふんだんにじっくり味を染み込ませた具沢山のかけ汁で食べた“ぶっかけそば”は実に旨かった。(ドンブリ3杯頂いた)新そばの風味(香り・そばの甘み・喉越し)は今まで体験した中で最高であった。 これだけだと、何だ、自慢話かとなるんだが・・・この地方におけるそば栽培の話を聞くと実にこれが生活感(昔の農村の飢え)が漂った話になる。 昔はこの地方では救荒食物としてそばが栽培されてきた。そのため土地の母さんたちは余りそばに対していい思い出がないと言う。そばを見ると苦しかった昔の生活を思い出すとか・・・そばの生産地はどこも山間地帯と呼ばれる農村に日本そばのルーツを見ることができる。今やそばブームにあやかっていかにも古びた店構えで街道に軒を連ねている。小生はこういうそば屋には入りたくない。機会があればまた、あのような暮らしと密着したそば屋を探し歩きたいものだ。もちろんその土地で採れた玄そばを挽いて食わせてくれる店を・・・ 8割以上も外国から輸入されているのにはたして「日本そば」なのかぁ? 小生もそれ以来密かにそばを播き、石臼で粉を挽き、生粉打ちそばを嗜んでいる。今年も小生のそば畑も一面白い花を咲かせ実りの時期を待ちわびている。 自称「そば通」の一人 鐙摺蕎麦会々長
“小生”に是非お会いしたいという向きには、「太陽の村」の手打ちそば教室(地元産そば粉が手に入る12月から実施予定)に参加されたい。特にかわいい女性には優しいが、熟年、年配の方々にもそれなりに優しい。口はそれなりに悪いが、心はすこぶるあったかい。
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