15 2002.8.1大丸シンガポールの撤退
ワールドカップの喧騒さめやらぬ7月の始めに、シンガポール在住の日本人にとって大変衝撃的なニュースが発表されました。「大丸シンガポール店閉鎖」のニュースでした。何だ、そんなことと思われるかもしれませんが、シンガポール在住邦人にとってはもとより、近隣国在住の邦人にも寝耳に水の驚きでした。大げさではなく…。 ![]() まさか大丸が撤退するとは…。大丸はシンガポールの日本人社会には無くてはならぬ存在でした。ニュースを聞いて最初に心を過ったことは、日本食が手に入りにくくなってしまうとことよりも、シンガポールでの「日本の時代の終焉」でした。1980年代、日系デパートは海外ではもっとも多いと言われる8店を数えていました。バブル崩壊後、一つ消え、一つ去りして、今では4つを残すだけになりました。他の国よりも多くの日本のデパートが出店していたシンガポールは、日本人にとっては心の休まる都市でもありました。事実、マレーシア、インドネシア、タイ、ベトナム在住の日本人のシンガポール訪問の目的は日本のデパートに行くことと言っても過言ではない向きもありました。
数ある日本のデパートの中でも、大丸は別格で、シンガポールの中の小さな日本そのものでした。特にスーパーはたこ焼きからお刺身、手作り豆腐におからまで、日本の食べ物で無い物は無いほどの品揃えです。いいか悪いかは別として。オンラインでお豆腐一つから配達を頼めるのも日本のデパートならではのサービスでした。日曜日は家族で大丸に行き、紀伊国屋で雑誌を見て、地下の和食レストランでランチを食べ、スーパーで日本食を仕入れて夕食は家で、と言うのが日本人駐在員ファミリーのサンデーライフと言われていました。 地元紙は見開き2ページ、カラーで「The Rising Sun Also sets」と題し、経済大国の栄華を誇っていた日本もこのところの不況に、撤退や中国へ移転する企業が相次ぎ、「日昇る国日本もついに沈む」とでも言いたげなタイトルで大丸シンガポール閉鎖についての特集を組んでいました。大丸シンガポール閉鎖はシンガポール人にも驚きだったようです。 ![]() ![]() 私は駐在員ファミリーではありませんが、さしあたり大丸撤退後はあの手作り豆腐屋さんはどこに行ってしまうのだろうと、そんなことを心配しています。
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