NO-51

2002.9.1

 
券売機に硬貨の音のひややかに始発待つ室すじ雲となる

 8月8日、所用のため始発電車(5:40松島行く)で仙台市へ行ってきた。“仙台七夕祭り”の最終日である。私は仙台駅の1つ手前の長町駅で下車したのだが、その電車内でのことである。岩沼駅からリュック・サックを背負った小学5〜6年生の少年が乗車してきた。そして、私の向いの席に座った。ロングシートの電車だった。<七夕見物にしては早い時間だけれど…>とおもった。白い野球帽に白いシャツ、短パンにスニーカーを履いている。健康で利発な少年という印象だった。
 私は出入口そばのシルバー・シートに座っていた。長町駅で下車するのに都合が良い。もちろん、お年寄りや妊婦さん、体の不自由な方々のための優先席である。始発電車はがらがらで空席が沢山あったから、よかろう…とおもって座っていた。少年もシルバー・シートに座っていることを自覚している様子だった。
名取駅で登山のいで立ちの中年男性が乗車してきた。40歳ぐらいで大きなリュックを背負っている。すると「どうぞ、かけて下さい。」と少年が立ちあがった。車内にはまだまだ空席がある。中年の男性は「ありがとう。向こうの席が空いているから…。」と少年に礼を言って空席にリュックを下した。登山の重そうなリュックを背負っていたから、少年は席を譲ろうとしたのであろう。
少年の言葉も仕草もまことに自然だった。いつもお年寄りや体の不自由な方に親切な少年なのだろう。少年に礼を言って他の席へ腰を下した中年の登山家の態度にも好感がもてた。1人で、2人分も3人分もの空席を独り占めし、携帯電話をかけまくる若者なら、うようよいる。
少年の善意に心が洗われた。

素朴な七夕飾りの短冊は飜(かえ)りて願い天にもどさぬ

 下車すると、私は地下鉄の長町駅まで行って乗り換える。約200mの距離がある。歩道の東側はJRの用地でフェンスが張ってあり、西側は国道だ。このフェンスに子どもたちが作った七夕飾りが結びつけてあった。約20p間隔で結んである。国道の向う側にも並んでいた。
2mぐらいの葉竹に五色の短冊が結ばれて願いごとが書いてある。風にひるがえる短冊の願いごとが書いてある。風にひるがえる短冊の願いが天にとどくかのようにおもえた。吹き流しは紙テープを1mぐらいに切り、5〜6本を束ねてあった。色付きの和紙で作った花のぼんぼりに吊るされている。金銀の紙で作った巾着、小さな人形に着せるような衣裳もある。織姫の衣裳なのだろう。
子どものころに作った七夕飾りをおもいだした。新聞紙を細かく切って繋いだ吹き流し。短冊は障子紙を切って作った。私の父は小学校1年生のときに他界した。姉も病弱で入退院を繰り返していた。「ねえちゃんの病気がよくなりますように…。」と書いた記憶がある。兄弟で作った小さな七夕飾りを軒につるした。
仙台市内の商店街には豪華で絢爛とした七夕飾りが並ぶ。が、子どもたち作った素朴な七夕飾りには郷愁があった。
 電車内で席を譲ろうとした少年と素朴な七夕飾りが、すがすがしい一日を与えてくれた。


 三十一音の韻律の文学の魅力にはまって三年になる。平成11年上期の河北歌壇賞(河北新報社・佐藤通雅選)を受賞した。
 短歌を勉強すればするほど、類形的でまとまりすぎて新鮮味がなくなった。表現が古めかしくて色褪せてきた…などと言われるようになった。むずかしいものである。「歌は人である」と言われるが、色褪せた自分にどんな春の彩りをそえて旬の短歌を作ろうか…と考えている。
柴田町船岡在住・渡辺 信昭