住宅街をぬけ、東船岡小学校の方向へ右折すると、町道の東側に水田が広がっている。まさに一面の青田だ。稲の成長は早い。5月の連休中に植えられた苗(5〜6p)が、今は15pほどに伸びている。青田のはるか向うは阿武隈高地。その麓を阿武隈川が流れているのだが、川は見えない。この青田を西から東へ朝霧がゆっくり流れてゆく。蔵王連峰から吹く風が阿武隈川へ霧を注ぐかのようである。
霧と靄には違いがあるのだという…。気象観測では、水平視程が1キロメートル未満が霧。1キロメートル以上を靄という。梅雨の季節は霧だ。私は幻想的な霧が好きだ。見慣れた風景が墨絵のように表情を変える。霧の中にいると霧の音が聞こえるような気がする。それは、私が心で聞いている音かもしれないのだが…。
朝の散策の帰路のころ、阿武隈高地に朝日が昇る。霧が晴れると一気にオレンジ色の曙光が射す。用水堀ぞいの道を蔵王連峰を正面に見ながら帰ってくる。草刈機のエンジン音が遠近にする。“風見鶏”という美容院が用水堀のそばにある。その堀ぞいの雑草を刈っている農夫がいた。刈り倒される草から飛び散る水滴なのだろうか?。その農夫の周囲に光の輪のようなものがあって、しばらく見とれていた。
20数年前、造園業の友人に庭を造ってもらった。樹木を数本植えた。そのとき運びこまれた土の中に鈴蘭の花茎がまぎれこんでいた。庭の西側、隣家との境の塀ぞいに鈴蘭が咲く。15〜16本ばかりの花茎から長楕円形の大きな葉が茂る。その中心に白色の鈴状花が咲く。花の直径は約7ミリ。高さは5ミリ。鈴が10個たてに並んだ形に咲く。 妻が切り取って部屋に飾ると、清楚な雰囲気になる。フランスでは5月1日に鈴蘭の花束を贈ると、その人に幸せが訪れるという言い伝えがあるという。この日は、道行く人達の胸にはその白い花が挿されていると。風雅でお洒落な話である。 3年前に庭の模様変えをした。庭の西側に2本あった松の1年を庭の中央に移し、あらたにヒバを2本植えてもらった。このときも盛土をした。平均で15〜20センチの厚さになった。3年目で鈴蘭が花をつけた。逞しい生命力である。5月の連休後は“梅雨のはしり”で雨模様の毎日が続いた。雨の日には、濃緑の葉に花の白色がにじむように見える。 三十一音の韻律の文学の魅力にはまって三年になる。平成11年上期の河北歌壇賞(河北新報社・佐藤通雅選)を受賞した。
短歌を勉強すればするほど、類形的でまとまりすぎて新鮮味がなくなった。表現が古めかしくて色褪せてきた…などと言われるようになった。むずかしいものである。「歌は人である」と言われるが、色褪せた自分にどんな春の彩りをそえて旬の短歌を作ろうか…と考えている。 柴田町船岡在住・渡辺 信昭
|