NO-45

 
血のいろの国興しなりアフガンの地雷の大地に民衆(たみ)よるべなく

難民の救援物資にUSA筆太とする欺瞞がありぬ

 ここに一冊の写真集がある。“ニューヨーク セプテンバー11、NEW YORKSEPTEMBER11”である。この写真集の米国版は、米国同時多発テロによって世界貿易センタービルが破壊された01911日から、わずか数週間後に発行された。撮影は世界最高の報道写真家集団といわれる“マグナム”である。この写真集が欲しくて、町内の本屋さんに注文したが、なかなか届かなかった。ようやく手にすることができたのである。
 日本語版は新潮社の発行によるもので、01125日が1刷。2版が02110日である。定価は本体2800円(税別)だ。もうご覧になった方も多いかと思う。
 同時多発テロから5カ月が過ぎた。いま、ソルトレークシティでは冬期オリンピックが開催されている。選手たちのすばらしい競技にテロを忘れそうだが厳戒体制がそれを思い出させる。
 さて、写真集だが、カバーはツインタワーが崩壊しはじめた瞬間の写真である。撮影者はスティーヴブ・マッカリー。1980年にアフガニスタンの取材でロバート・キャパ賞を受賞した写真家である。ページを開くと映像カメラマンのエヴァン・フェアバックスが撮影したビデオテープから起こしたスチール写真(連続)がある。説明文は「大音響を耳にしたフェアバックスが外に飛び出すと、2機目が現れ、もう一方のタワーに激突した。」とある。以下、あの日からのニューヨークでの衝撃的な写真が並ぶ。犠牲になった愛する者のために慟哭する女性の写真には心が痛む。
 序文でデイヴィッド・ハルバースタムは「…あの瞬間までアメリカは20世紀の近代戦争が引き起こした惨禍を免れてきた。世界貿易センターとペンタゴンへの襲撃は、それまでアメリカ人が享受してきた驚嘆すべき歴史上の一時代に幕を引いた。その時代とは第一次世界大戦の勃発から(アメリカが参戦したのは3年後だが)87年間と私はみる。この間、アメリカは望まれぬまま超大国という立場に浮上し、やがて世界最強の国家になった。だが、この時代に起こった数々の忌むべき殺戮をアメリカ本土で体験することはなかった。2つの大洋に守られた時代があまりにも長く続いたために、私たちアメリカ国民は、世界中で起こっいる凄まじい災禍とは無縁なのだと思うようになっていた。……」と書いている。
 たしかに、アメリカは本土に焼夷弾1個投下されたことは無かったのである。
このたびのテロは、その国民に痛烈な打撃を与えた。手ひどい衝撃を与えたのである。私は、信じがたいテロの惨劇をマグナムの写真家たちがどのように記録したのか?…をしっかりと目にしたかった。
 いま、手もとにあるそれらの写真1枚いちまいが私の心を揺する。中にはページを閉じたくなる写真もある。……これらの写真を私は、テロリズムを否定する心のよりどころにしたいと思う。決してテロリズムを許してはならないという告発の写真としてである。
 だが、あれからの米国等によるアフガニスタンの報復攻撃に私は賛同しない。ビンラディン率いるテロ組織アルカイダとオマル率いるタリバンへの攻撃はいまだに続行されている。すでに両組織は壊滅したと思うが、米国は徹底的な殲滅(せんめつ)を行っている。後方支援のため、わが国の海上自衛隊の艦船の第2団が出航していった。
 この報復攻撃には、わが国をはじめとするG8の構成団が支援にまわった。「アメリカに付くか?それともテロ支援国家になるか?」と世界各国に二者択一を迫ったブッシュ大統領は“超大国・世界最強国アメリカ”を自負する傲慢な態度をとった。あのとき、途上国らに選択の余地はあっただろうか?。「テロの抑圧のために、報復攻撃以外に解決の方法は有るか?」と問われると、私にはなんとも答えられないのだが……。
 前に私は「世界の宗教指導者による解決の道があるのではないか……。」と書いたが。が、その動きは無かったに等しい。
 このたびのテロの犠牲者はいたましい。アメリカは莫大な資産を失い、経済にも重大な打撃を受けた。それは連日の報道や写真でよくわかった。
 それでは、アフガニスタンの北部同盟と手を組んだアメリカが空爆をはじめ特殊部隊や海兵隊の攻撃で殺傷したタリバンとアルカイダの兵士は何人いたのか?その正しい報道はあっただろうか?ノーである。そこに私は危惧を感じる。
 1月29日、ブッシュ大統領は一般教書演説で、イラク、イラン、北朝鮮民主主義人民共和国を大量破壊兵器の開発を狙っている国家だとして「悪の枢軸」と名指しで避難した。6月以降らしいが、イラクのフセイン政権を打倒するために、軍事行動を開始する可能性もあるという。
 アフガニスタンでは暫定政権が発足したものの、各勢力が地方で武力衝突を繰り返し、不安定な国情を見せている。214日には空港でアブドルラフマン航空相が殺害された。
 私は、いま急激に変化する世界情勢に翻弄されている。しかし、大量の情報に流されるままにいるわけにはいかない。目を見張り、聞き耳を立て、頭脳をフル回転させて「本当に正しいものは何か。」を判断しようという姿勢は持ち続けようとおもっている。



 三十一音の韻律の文学の魅力にはまって三年になる。平成11年上期の河北歌壇賞(河北新報社・佐藤通雅選)を受賞した。
 短歌を勉強すればするほど、類形的でまとまりすぎて新鮮味がなくなった。表現が古めかしくて色褪せてきた…などと言われるようになった。むずかしいものである。「歌は人である」と言われるが、色褪せた自分にどんな春の彩りをそえて旬の短歌を作ろうか…と考えている。
柴田町船岡在住・渡辺 信昭