NO-39

 
「幸水に長十郎だ」と梨を売る歩道の翁古木のごとく
 仙台地下鉄の長町駅とJRの長町駅の間には約200mほどの距離がある。国道沿いの歩道を行き来して双方の交通機関を利用しているのだが、不便を感じることがある。
 この200mの空間だが、国道の東側はJR所有の空き地で西側が商店街。空き地は砂利を敷いた駐車場にしてある。東側から詳しく書くと@JRの線路A空き地を利用した駐車場B歩道C国道D歩道E商店街となる。図のような形で縦に伸びている。私はBからDの歩道を行き来する。このBの歩道に秋になると梨を売る露店がでる。梨が入っている木箱を56個並べて売っているだけの店である。宮城県利府町の梨生産農家が直売しているのである。74歳から75歳ぐらいの老人が店員だ。なんとも朴訥な老人で、梨の古木が根をおろしている感じがする。私は“梨だいすき人間”である。果実ではなによりも梨が好きだ。青果店で梨を見ているだけでうれしくなってくる。で、この老人に好感をもった。
 身長は私よりやや小さめで170cm(私は176cm)ぐらい。顔は浅黒くうりざね形で目は大きく窪んでいる。白髪を短く刈り込み薄い唇を一文字に結んでいる。強靭な意志の持ち主という印象だ。体は痩身痩軀で贅肉などどこにも無い。<とっつきにくい人だな…。>とおもわせる寡黙な雰囲気の老人である。母の生家の亡き祖父もこんな感じの農夫であった。この老人は、いまも現役で農作業に従事しているのであろう。
 私の標準体重をブローカの桂変法(桂英輔・京都大学名誉教授が人類学者のブローカの考案した算出法を日本人向けに修正したもの。)で計算してみると、(身長176cm−100)×0.968.4sとなる。68sから69sが私のベスト体重である。が、現在は75s。約7sの肥満だ。よく妻に言われるが、結婚した当時(27歳)は69sだった。35年間の歳月が約7sに脂肪を皮下に蓄積させた。この脂肪は厄介もので、なんども所払いを命じているが、頑固に居座っている。
 さて、この寡黙な老人だが、梨を売ることができるだろうか?と気掛かりになってきた。すぐそばのバス停の人混みにまぎれて見守ると、売れる。つぎつぎに客が来るのだ。付近には高層のマンションがある。その住民らしき女性たちが梨を買ってゆく。老人の梨がおいしいことを周囲の人たちが知っていたのである。
駅の露地梨売る媼(おうな)静かなり熟したる実は地の色のごと
 これは平成10118日(日)の河北歌壇に入選した短歌だ。同じ露店を詠(よ)んだものだが、この日の店員はおばあさんだった。この老人の奥様である。3年前のその日、私は“長十郎”10個ばかりを2000円で買った。その梨はおいしかった。果皮が厚く、舌にザラッとした感じの果肉の甘さと香りは、おばあさんが自慢したとおり、天地の恵みを凝縮したような旨さだった。おばあさんは利府町の梨畑で“青龍、八雲、豊水、幸水、長十郎”などの品種を栽培してきたと教えてくれた。
「だがの、やっぱり長十郎だわ。これがいっとう旨い梨だなぁ」とビニール袋に梨を入れながら言った。この店はおじいさんと交替で店番に来るのだと。朝、息子の軽トラックに梨を積んできて、夕方に迎えに来てもらうという。
 私が子供のころに住んでいた家のそばに農家があった。その家の倉のわきに梨の木があった。倉の屋根を超えるばかりの樹高で、秋には小粒の梨がたくさん実った。その家では、この梨の実を食べなかったらしい。子供たちに自由にもぎとらせてくれた。たぶん、旨くなかったのであろう。が、私はおいしかった。たらふく食べさせてもらった。あの少年の日の体験が私を梨好きにしたのかもしれない。
 梨はバラ科の落葉高木である。農家の梨の木の樹高は7から8mは有っただろう。周囲に梨を栽培する農家など無かったから、小学生の私は、梨は柿や栗のように大きな木に実る果実なのだとおもっていた。“棚(たな)作り”といって枝を地面に平行に成長させる栽培方法があることなど夢にも知らなかった。棚作りの目的は@ニホンナシの成熟期に襲ってくる台風から果実を守るため。A農作業をやりやすくするため。である。ニホンナシの品種には“長十郎”系の赤梨と“二十世紀”系の青梨がある。私はなんといっても赤梨系のファンである。“二十世紀”系の果皮の緑白色は袋を被せ丹念に成熟させた色である。果肉のみずみずさと香り、甘さは洗練された都会の味がする。これも格別な味だが、私の嗜好は長十郎系に合っているらしい。
 昨年結婚した長男が郵便局に勤務している。多角経営に乗り出した郵便局は全国のグルメ食品の通販もやりだした。“ふるさと小包・新鮮便”というもので、“バラエティに富んだ、新鮮な旬の味覚をご家庭で”というキャッチ・フレーズが添えられている。前年中にカタログを見て12か月分を予約しておくと、翌年は月毎に注文のグルメ食品が届くという仕組みだ。もちろん保冷の“チルドゆうパック便”で届く。
 わが家もおつきあいでこの通販に加入した。月額3000円から5000円のコースである。10月は九州産の梨を注文しておいた。評判の大梨を食べてみたいとおもった。10月初めに届いた梨は直径が約20cmで約80gもある巨大な梨である。大玉3個が丁寧に包装されて送られてきた。とにかく大玉には度肝をぬかれた。さっそく1個の皮をむいて試食した。わが家は次男と私たち夫婦の3人家族だ。デザートにと切り分けだが、とても食べ切れる量ではない。1個の梨を2日間かかって食べた。「大味」という言葉がある。単純な味でこまやかな風味が無いことを言うが、正直言ってそんな味だとおもった。甘いし香りも良い。歯ざわり舌ざわりも長十郎に似ているのだが、ピシッとした味に“なにか”が足りなかった。隠し味の調味料の何か一つ足りないような味なのである。
 だが、この梨は“姿形が大きいこと”が誇りなのだ。“大きさ”を商品価値にしているのである。栽培農家は果皮がなめらかな錆かっ色で小さめなのバレーボールのような梨に仕上げるために、いっしょうけんめいに育てたのである。長十郎なみの味まで求めるのは酷だとおもった。この梨は大玉で勝ってきたのである。
 「梨はは、やっぱり長十郎だわぃ」と、朴訥な老人がつぶやく声を聞いたような気がした。豊穣の秋だ。」梨も林檎も柿も豊作である。里芋もうまい。茸も旬だ。標準体重を約7sもオーバーしているが食欲の秋なのだ。すこやかで天地の恵みを食することができることを感謝しながら、もりもり食べている。
わが裡(うち)の五臓六腑はすこやかに梨柿芋に茸いただく



 三十一音の韻律の文学の魅力にはまって三年になる。平成11年上期の河北歌壇賞(河北新報社・佐藤通雅選)を受賞した。
 短歌を勉強すればするほど、類形的でまとまりすぎて新鮮味がなくなった。表現が古めかしくて色褪せてきた…などと言われるようになった。むずかしいものである。「歌は人である」と言われるが、色褪せた自分にどんな春の彩りをそえて旬の短歌を作ろうか…と考えている。
柴田町船岡在住・渡辺 信昭