NO-36

涙して防腐剤塗る翁ありゴミ集積所に秋光あびつ

 9月9日の日曜のこと。用事があって船岡中学校の近所を訪ねた。その家は新興住宅地の町道の角にある。56分で用件が済み、自転車を漕ぎだそうとすると、道路の向いのゴミ集積所の台に老人が屈みこんで防腐剤を塗っている。刺激臭が私のところまで届いてきた。
 しかし、日曜日である。町役場の職員ではなさそうだし、専門の業者にしては失礼だが高齢すぎた。不思議なので近寄り「たいへんですね。この辺の方ですか?」と尋ねると「土手内から来たんだい。町内のゴミ集積所さ防腐剤ば塗ってけでんのっしゃ」と老人。町内75カ所のゴミ集積所の台に防腐剤を塗って回っているのだという。それもボランティアでだ。目に涙が光っていた。胸を打たれた。防腐剤の刺激で涙が止まらないらしい。
 この町のゴミ集積所の台の大半は木製である。道路に沿って縦が約4m奥行き1.5mの長方形で奥の側と横に約1mの囲いがある。土木作業に使用する重機のバケットに似た形である。行政区によってはステンレス製の箱形で前面に金網の扉の付いたものを設置しているところもあるが、まだまだ木製が主である。
 防腐剤の入った一斗缶(18リットル)と、液剤を小分けにして持ち運ぶ手提げの空き缶、ハケなどの塗装の用具が並んでいた。自転車の荷台は大型の鉄製で七つ道具を積んで町内を走り回っているらしい。私は涙があふれそうになった。7475歳ぐらいの小柄な老人が、目に涙をためて防腐剤を塗っているのである。目縁が赤らんでいた。朝から何カ所もの台を塗装してきて防腐剤にやられたのだ。泣き腫らしたような目だった。
 私は涙にもろい。人様の涙を見ると自分もウルウルしてしまう。「男らしくないぞ」と言われても今更どうにもならない。とにかく、感動や感激しやすく、それも深く感じてしまうのが原因である。が、やはり、人様には涙を見せないように注意している。
 音楽会はステージに近い席には座れない。演奏中に感動すると涙が溢れてくるからだ。聴衆の中にハンカチで目を押さえている人など見たことも無いし、とにかく前の座席にいては困ってしまう。何年か前、宮城県民会館でNHK交響楽団の演奏会があった。弟が仙台市内で音楽関係の仕事をしていることもあって、A席のチケット2枚を贈ってくれた。「たまには奥さんと音楽鑑賞しなさいよ。」と電話をくれた。演奏曲目に私の大好きなモーツァルトの“交響曲第40番ト短調K.550”が合った。演奏がはじまると涙が溢れてきた。
 私は、1976年、カール・ベームが82歳でウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮したこの曲のLPレコードを持っている。“交響曲第41番ハ長調K・551<ジュピター>”との2曲を録音したものだ。私の数少ない宝物のひとつである。モーツァルトの演奏家(指揮者)として最大級の評価を受けていたベームが、この2曲を録音したのは、このレコードが最後である。
 私は、何度もこのレコードを聞いていたが、涙ぐむほど感動したことは無かった。が、“N響”の演奏では泣かされた。それから音楽会へ行くときは、2階などの奥まった席に座ることにしている。
 いっしょうけんめいに防腐剤を塗っている老人に「ごくろうさまです。」と挨拶して去ってきた。々すがすがしい秋光のなか、爽やかな気持ちで自転車を漕いできた。

女郎蜘蛛(ぐも)たてよこななめを一文字統(す)べて来向う秋に爪研ぐ

 私の家の庭に楓(かえで)の木が1本ある。太さは根元で直径が17p。樹高が4.5mばかりで枝張りは2mほどである。5月の連休のころに新芽を出すのだが、これを鮮やかな朱色なのだ。そして夏になると緑色に変色する。この新芽だが、どんどん成長する枝があって、7月末には1mにも伸びたものが四方八方に飛び出して、なんともみっともない姿になる。植木職人が剪定に来るのは9月末だから、それまで放っておくわけにも行かない。そこで私が脚立を持ち出して剪定する。が、この脚立が低い。上に立って手を伸ばしても最上部の枝には届かない。
この脚立は平らにして留め金を打ちこむとハシゴになる方式のものだ。そこでハシゴにして上の幹に引っかけて枝を切り落とす。これが悪い。ハシゴを引っかけた周囲の枝々を傷つけてしまう。翌朝になると茶色に変色した葉が沢山目に付くようになる。
東隣りのご主人は植木の手入れに長けた方で、土曜と日曜は朝からパチパチと鉄の音をさせる。そして「枯れた葉を切り取ってしまいなさいよ。」と指図してくる。そこで2度目の剪定になる。今度は脚立つに立って手の届く範囲の茶色の葉を切り落とす。すると、そこから朱色の新芽が出てくる。紅葉の赤は、生命の残り火が燃えている感じだが、新芽の朱色は若者の皮膚の下を流れている血の色の感じがする。赤よりも、もっと鮮烈で透きとおった朱である。すると「これも、みっともないんだよな。切り取ったほうが良いよ。」と、また指導される。だが、そのままにしておいた。
今月末には植木職人の手で刈り込まれ、姿が整えられる。それまでなのだ。楓の緑(まだ紅葉の気配は無い。)に混じって伸びる春の朱色を眺めて楽しんでいる。その楓に女郎蜘蛛が巣を張った。黄色と黒の縞模様の大きな蜘蛛だ。楓によく似合う。が、これも職人の手で取り払われてしまうだろう。職人が来る日の朝につかまえ、ダンボールの小箱にでも入れて生かしておこうか?…。