数年前のこと。菩提寺の庫裡が新築される以前のことである。
用事があって寺を訪れた。方丈さまの居間に座ると、かすかに琴の音のような、水のしたたるような音がする。鉄琴の高音部をかすかに叩いているような音にも聞こえた。目をやると、土色の陶製の瓶(かめ)がある。はじめて見る“物”である。 「水琴窟(すいきんくつ)だよ。」と方丈さま。 素焼きかとおもったが、素朴な風合いにするために荒い釉薬をかけて土色に焼いた素敵な瓶だった。直径40p〜50pで高さは1mも有ろうか?焼酎を入れる瓶ぐらいの大きさである。蓋が皿のように窪んでいて水が溢れると瓶の中に滴り落ちる仕掛けらしい。水琴窟は日本庭園の縁先の手洗い鉢や蹲居(つくばい)の水が地中に埋められた伏瓶(ふえがめ)に滴り落ちるときに反響して琴の音色を響かせるように作られたものだが、それを陶器にして音を楽しむように作ったものだった。 <風雅なものがあるものだなぁ。>と感心した。 落ちた水はポンプで上の皿に循環する仕掛けのようである。「キン…。」か「キンチン…。」だったか?あるいは高低の違う音だったかは忘れたが、まことに心地よい音だった。 <仏さまにお供えするお灯明の音色か?>ともおもった。 <水琴窟の仕掛けを詳しくみせてもらおうか?>と、興味がわいたがブレーキをかけた。この奥床しい音色の“魅力のもと”は不明のままがいいとおもった。 感心したり、感動したものの裏を覗き、失望することが私には、まま有るからだ。それから間も無く庫裡が新築された。護持会の地区役員をしているのでお寺を訪問する機会は多い。が、あれ以来、水琴窟の音を聞く機会が無い。もう一度あの音色に触れてみたいとおもっているのだが…。 お盆の行事が終わった。 私の菩提寺では約1000軒の檀家が8月13日〜15日の3日間に分かれ、家族がお寺に集まってご先祖さまの供養をしていただく。1日平均で330軒。それを午前9時30分、11時、午後1時30分、3時の4回に分けて行う。指定された時間になると本堂は檀家の家族でいっぱいになる。方丈さまと副住職の読経のあとでお焼香し、卒塔婆をいただきお墓に立てる。 ことしは受付で“おぼん”という小冊子を渡された。曹洞宗の宗務庁が作成したもののようである。「お盆をむかえるにあたって、その風習と心」「迎え火と送り火」「精霊(しょうりょう)棚(盆棚)と精霊送り」についての解説が載っていた。その中に胡瓜(きゅうり)の馬を作り、茄子(なす)で牛を作ることが書いてあった。私の家では祖母が達者なころは、精霊棚を祖母が作った。小さな家に住んでいたからだろうか。仏壇の前に笹竹を2本立てただけの簡単なものだった。笹の枝に鬼燈(ほおずき)と麩(ふ)を吊るした。仏壇の前に卓袱台(ちゃぶだい)を置き、その上に蓮の葉を敷いた。笹の上に柳の箸4本を□の中に団子やぼたもち、ソーメン、野菜などを供えた。 祖母は胡瓜と茄子にマッチ棒を刺して馬と牛を作った。馬にはちゃんと首も付いていた。小冊子によれば、胡瓜の馬を使者にしてなるべく早くご先祖さまをお迎えし、帰りは茄子の牛に乗ってゆっくりお帰りいただくのだという。 8月16日の早朝、祖母は蓮の葉にお供えした食物や野菜、果物をまとめて包装紙でつつみ、周囲を笹の枝でくるんで舟の形を作った。“精霊舟”である。「こりゃあ、お帰りにならっしゃるご先祖さまのおみやげなんじゃからの」と川に流す役割を長男の私にさせた。(正月三が日の若水汲みも私の役割になっていた。) 私は自転車を飛ばして白石川の船岡大橋の真ん中へ行き、ご先祖さまの“おみやげ”の精霊舟が岸に引っ掛からないで、どこまでも流されてゆくようにと手を合わせた。祖母が他界してからは、精霊棚は私が作ってきた。が、馬と牛は作らずにきた。ことし、はじめて祖母が馬と牛を作っていた意味がわかった。そして、馬と牛を作ってお供えした。 ところで、上流にダムが建設され“精霊流し”が河川を汚染するからという理由で禁止されてから、もう10年にもなるだろうか?…。ことしも、私は精霊棚にお供えした蓮の葉も食物も生ゴミとして投棄した。8月16日に茄子の牛に乗って旅立たれたご先祖さまは“おみやげ”も持たずに帰られた。 さびしい、申し訳ない気持ちがする。 先日、白石川の橋の下で投網を打っている老人を見た。 ことしは冷夏だった。気温が低かったので鮎が産卵のために川を下る時期が早まったのだろうか?。 さらりとした風の感触は秋そのものである。台風も来たことしの稲の出来映えは堂だろうか?。もう、稲刈りのシーズンである。
三十一音の韻律の文学の魅力にはまって三年になる。平成11年上期の河北歌壇賞(河北新報社・佐藤通雅選)を受賞した。
短歌を勉強すればするほど、類形的でまとまりすぎて新鮮味がなくなった。表現が古めかしくて色褪せてきた…などと言われるようになった。むずかしいものである。「歌は人である」と言われるが、色褪せた自分にどんな春の彩りをそえて旬の短歌を作ろうか…と考えている。 柴田町船岡在住・渡辺 信昭
|