NO-32

阿武隈は鉄錆色(てっさびいろ)の嵩増して遥か上流降りつのるら

湾曲の川岸に咲くハルジオン群生の白流るるごとく

 テレビのニュースで利根川に棲息している草魚(そうぎょ・淡水に棲む巨大魚)を釣り上げた様子が放映された。“草魚を専門に狙うクラブ”が有って、そのメンバーの若者が釣り上げた。体調が160cmで体重は約40kg。並んで横たわった小学生の少女とほぼ同じ大きさであった。丸太ん棒のような魚だ。
 草魚は中国や台湾で養殖されており、わが国では移植されたものが利根川で自然繁殖した。餌はタニシでポイントに撒き餌して誘い寄せてゲットした。体長、体高、体重を計測し、記念撮影してリリースした。「また会おうぜ!!」と、手を振りながら巨大魚を放流した若者に「カッコイイゼ!!」と拍手した。
 “草魚を狙うクラブ員”が何日かかかって、ようやく釣り上げた巨大魚だった。針掛かりしてから玉網に納めるまでが約15分。巨大魚との闘争はすさまじかった。磯釣り用のカーボン・ロッド(竿)が弓のようにしなり、逆走(泳ぐと言うより走ると表現したい感じなのだ。)した道糸は100mも出ていった。
 針掛かりした巨大魚は、まず沖に走った。(このときの強烈な魚の力で道糸がプツンと切れないようにハンドルを巻いても道糸が出てゆくドラッグ装置がリールに付いている。)両軸受けリール(スタードラッグ・リール)は巨大魚の疾走に「ギイイイ…。」と悲鳴をあげて逆回転していた。巨大魚が方向転換しようと走力を弱めたとき、若者は後ずさりしながらリールのハンドルを回し続けた。
 草魚を取り込んだ玉網をクラブ員2名でようやく川から引き上げた。胸がわくわくした。眠っていた私の釣りへの欲望に火が付いた。私は無類の釣り好き人間である。海釣り(…といっても内海や防波堤。)も川釣りもやる。とにかく、釣り糸を垂れているだけで気持ちがいい。わが町には、1級河川の阿武隈川とその支流で蔵王水系の白石川が流れている。
 私は子供のころ桜花で有名な船岡城址公園のそばに住んでいた。白石川が近かった。兄弟3人で釣竿を持ち、バケツにミミズの入った空き缶をカラカラさせて釣りに行った。3寸〜5寸の鮒がよく釣れた。
 私は母子家庭で育った。日中、母は衣類の行商に出てゆき、家事と炊事は祖母が担当していた。祖母は鮒の田楽を上手に作ってくれた。釣りは糧を得る手段でもあったが、とにかく楽しくてしかたがなかった。
 私の釣り好きは少年時代に萌芽したのである。私の長男も釣り好きで、休日には宮城県亘理町の鳥の海(内海である。)に車で連れて行ってくれた。約30分で着く。小さなカレイやハゼが釣れるが、彼は昨年の11月に結婚して隣の市内に世帯を持った。新婚生活の彼には釣りなど念頭に無いらしく…それがあたりまえだが、誘いの電話がまったく無い。ならばと、先日、天気予報の晴れマークに合わせて川釣りに行ってきた。のんびり自転車を漕いでである。
 白石川は阿武隈川へ合流する1.5kmばかり上流でS字カーブする。Sの下の曲がりの左岸に私の好きな釣り場がある。右岸の南側は工業団地で東北リコー(株)などが立ち並んでいる。釣り場の傍には河川敷の運動公園もある。土手には小粒の白い花をつけたハルジオンが群生していた。
 高木の柳があって、その下のブッシュを潜りぬけると小さな釣り場だ。釣人が周囲の雑木や葦を刈り払って作った場所だ。家から20分で到着した。私はカーボン・ロッドを2本並べた。いつもは3本で釣るのだが、先日は1本減らした。自転車に括り付けてくるのがたいへんなのだ。竿は1本でも竿立て、リール、仕掛け、餌など、附属品がけっこうある。
 午前5時に狙ったポイントに仕掛けを投じた。この日は吸込み式の仕掛けにした。川釣りにはミミズがベストなのだが、わが家の周囲には堆肥などミミズを掘る場所が無くなってしまった。1パック600円の箱入りを釣具店で買えばよいのだが、店が遠く億劫になってしまう。そこで餌は買い置きの配合ネリエになる。前日に水で練ったものをラップで包み、冷蔵庫でひと晩寝かせるとほど良いネバリが出て使い良い。
 さて…何も釣れない。ロッドの穂先の小さな鈴が「チリ」とも鳴らない。川の中央でカイツブリが遊んでいる。78羽もいる。白石川に棲みついているのか、いつも来ている。潜水能力がすばらしい。1羽に注目し、潜ったときに浮き出てくる場所を予想してみるが、とんでもない場所に出てくる。何度予想しても当たらない。
 そして、これは遊びではないぞ…と気がつく。水中の小魚を獲るために潜るのだから“動きは小魚しだい”ということなのだ。
 釣り場の北には国道4号線のバイパス。その向こうは表蔵王国際ゴルフクラブである。だが静かだ。釣り場のわきに水路があって、ゴルフ場の方向からの細い流れがある。黄色の菖蒲(あやめ)が咲いていた。朝の散策で目にする各家庭の菖蒲より花が小振りだ。芥子菜(からしな)の小さな花は終ろうとしていた。ギンヤンマが緑の複眼をクルクルさせて飛んでくる。初夏の淡い青空が広がっている。
 釣りなど、どうでもよい気持ちになってしまう。雉子(きじ)の雄鳥が、いきなり頭上を飛び越えていった。ぶつからんばかりにである。羽音の「バババババ…」という音に驚いた。私には危害を与えない樹木か物体でもあるかのように無関心で無警戒である。<いいなー…>とおもう。私は自然に同化したような気分になっている。
 この日の釣果はニゴイ1尾にウグイ2尾だった。もちろんリリースした。土手の上の道を帰ってくると、青田を風がわたっていった。

いずくにも水の音する如くして青田(た)を波立てる風の緩急



 三十一音の韻律の文学の魅力にはまって三年になる。平成11年上期の河北歌壇賞(河北新報社・佐藤通雅選)を受賞した。
 短歌を勉強すればするほど、類形的でまとまりすぎて新鮮味がなくなった。表現が古めかしくて色褪せてきた…などと言われるようになった。むずかしいものである。「歌は人である」と言われるが、色褪せた自分にどんな春の彩りをそえて旬の短歌を作ろうか…と考えている。
柴田町船岡在住・渡辺 信昭