4時30分、阿武隈川高地の北端の七畝山(ななうねやま)から朝日が昇ってくる。今朝の太陽は、農家の庭に放し飼いの鶏の卵黄のようなオレンジ色である。光の角度や色温度が低いためであることはわかっているが、どうして朝日はこんなに大きく見えるのだろう?…。などとおもいながら真正面に太陽を見据えて歩いてゆく。太陽が天に昇る速さもすごい。ぐんぐん、まばゆさを増しながら昇ってゆく。すると、電柱や電線が気になりだすのだ。
近景の青田に遠景の里山、はるか遠く残雪の蔵王連峰などの眺めを楽しみながら歩くのだから、電柱や電線が気になるのは当たり前である。 スーパーマーケットの北海屋の電柱を見上げると、横が約25pで縦が約15pのアルミのプレートが結びつけてあった。東北電力のマークの下に横書きで原前枝線4と印字してある。<ほほう…。>と興味がわいた。立ち止まっては見上げ、立ち止まっては見上げしてみると、原前枝線4→航研(隣の角田市にある航空宇宙研究所のことであろう。)幹線○→並松線○→新田枝線○→三名生枝線○→江尻枝線○→道端枝線○→中曽根枝線(自宅付近)となったのである。(○の所には道路わきに並んでいる順に番号が印字してある。) 原前、江尻、並松、新田、三名生、道端、中曽根は、それぞれが地名なのだが航研だけが施設名なのが面白かった。この町でも住所の住居表示の変更(?)が行われ、私の家の住所は船岡東2丁目となったが、以前は中曽根であった。電柱のプレートを見上げながら<こんな地名もあったな…。>と、なつかしく見て歩いた。 電柱と電柱間の距離は私の歩測で45〜47歩。歩幅が62pだから、約28m間隔で電柱が並んでいた。私の朝の散策コースは約3qある。計算すると、この間に約110本の電柱が並んでいることになる。そして、電柱と電柱のほぼ中間にはNTTの電信柱(これにもプレートが付いている。)が立っている。これらを合計すると、3qの間に約220本の柱が存在するのだ。とくに幹線の電柱は太くて高く、最上部には3本の電線、その下に3本や2本を捩ったものなどが結びつけてある。トランスの数も多かった。 私の散策コース内には、東北電力の船岡変電所もある。高圧送電線が隣町の村田町沼辺の方向から船岡変電所へとどき、さらに角田市の江尻の方向へ伸びてゆく。町の役場を基準にすると北東から来て南西へ伸びているのだ。電柱や電線が気になると言いながら矛盾するのだが、私は高圧送電線の鉄塔が好きである。 さきほどの道端枝線の電柱が立っている町道の三名生線に出ると青い田んぼから山を越えてゆく鉄塔が見える。力強いものが天に向って突っ立っている感じがいい。電柱といえば、今は鉄筋コンクリートの棒だが、私が子供のころは防腐剤のコールターを塗った木柱であった。 夏休みに“陣取り遊び”をしながら電柱に手を触れると黒い塗料がベットリ付いたものだった。電灯はタングステン・タイプの電球でテレビも冷蔵庫も無い時代で電話の有る家庭もめずらしかったころだから、頭上を交錯する電線も少なかった。 朝の散策にはメモ帳とボールペンを持参する。印象ぶかいことに出会えば記録しておく。“短歌の種”である。電柱のプレートを見上げながらメモしてきてハッとした。 八幡神社を過ぎたときのことである。“麦秋”が無くなっていた。散策コースで減反田の1反歩だけに栽培されていた大麦が収穫されてしまっていた。一週間ほど前からは茎や穂が透きとおるような黄色(直射光では黄金色に光ってみえる。)になって風になびいていた。このあたりで1反歩だけの麦畑は詩情にあふれていた。青田の中の麦秋は際立って輝いていたのだったが…。 昨年も感じたことだが、麦秋の風景と刈り取られた減反田の姿には詩情の落差がありすぎて無残でさえある。と、おもうが、栽培農家からは「なにが詩情だ。そんなものは腹のたしにもなるまい」と言われそうである。 ところが、この詩情とか感性が、私には生命の喜びになる大切なものなのである。短歌になったりエッセイになったり生甲斐になったりする。じつは1週間ほどまえ、減反田から1本の麦を引き抜いてきた。(所有者の方へ。“無断でいただいてきました。お許しください”) 実りの秋をむかえた大麦をよく観察したかったのである。その大麦は6〜7pの長さのものが7本しかなかった。末端や毛細な根は引き抜いたときに切れてしまったのだろうが、以外なほど本数が少なかった。茎には2つ目の節があった。根元から17pのところに1つ。その上同じ17pところに2つ目の節があり、それぞれの節から葉が出て茎を包むように伸びている。2つ目の節からは35p伸びたところに穂があった。穂は冠毛も含めて12pの大きさである。実は6列にならび、1列の粒数は7粒〜8粒で合計すると45粒ほどが結実していた。 町道の三名生線に出ると道ばたの丈の低いコスモスが小さな花をつけていた。<エッ、早すぎるのではないの?>とおもってしまった。 立葵(たちあおい)は太めの茎に薄紅の大ぶりな花が咲きのぼりはじめている。 船岡中学校の近くの家の庭には藤のみごとな花房が垂れていた。家の周囲には鉄柵の垣がまわされている。白鶺鴒(はくせきれい)が風にふかれるように長い尾羽根を上下させていた。 |