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秀鷲のさまに弱小食い荒らすスポーツ・ニュース見るにしのびず

 開幕いらい読売ジャイアンツの快進撃が続いている。今年もやっぱりジャイアンツが強い。とくに打線の破壊力は圧倒的である。他のチームにとっては、3〜4点の先取など無いにひとしい得点だろうし、事実、逆転されてしまうことがしばしばである。
 419日の対ヤクルト戦など、その典型的な試合で、前半40とリードしていたヤクルトが最終回に抑えの切り札の高津投手を登板させたが、65と逆転されてしまった。私も頭をかかえてしまった一人である。なにを隠そう、私はアンチ・ジャイアンツ・ファンである。このところの連夜の敗北に歯軋りしている。
 セ・リーグは6球団の2順目の総当りが終わるところで、それぞれのチームの戦力がほぼ判明してきた。外国人選手の力量もだいたい分かった。それにしても、今年のジャイアンツの強さは際立ち過ぎている。
 アンチ・ジャイアンツ・ファンというのは、まことに自分勝手で、ジャイアンツ以外の5球団全てに応援する輩である。とにかく、ジャイアンツの敗北をひたすら願い、それが実現しようものなら“バンザイ”やら“ガッツポーズ”やらで歓喜する。
 火曜日から日曜日までのTVのプロ野球中継は、すべてがジャイアンツ対○○○球団なのだから、興奮と落胆の夜々をすごしている。だいたいが落胆して床につくことが多い。
 開幕当初はジャイアンツの中継ぎ投手陣と抑え投手が不安定で、ロケット・スタートは出来ずじまいだったが、ここに来て投手陣が安定してきた。打線は不調だった高橋(由)選手のバットまでも火を噴き始めたのだから、たまったものではない。毎試合、高橋(由)、松井、清原、江藤選手らがスタンドへホームランを叩き込んでいる。
 いやはや、手がつけられないさまになってきた。そこで「こだの、あだりまえだべ」と、つぶやいてしまう。フリーエージェント(自由契約選手)宣言をした優秀な選手を高額な契約金額で掻き集めるのだから、戦力がアップするのはあたりまえだと…。
 私が読売ジャイアンツを嫌う理由はここにある。プロなのだから、お金持ちの球団が、お金の力で優秀選手を獲得して戦力を強化するのは妥当なことなのだが…。選手側も多額の契約金を手にしたいのである。
 私には縁が無いが、個人であれ企業であれ国家でさえも富裕になることは悪いことではない。富を得るには大変な勤勉と努力がいる。経営の才能をそなえ、広告戦略や価格戦略にも長けなければなるまい。読売ジャイアンツは富裕軍団である。豊富な資金をもとに優れた選手を集めて強力なチームを作り、多くのファンの支持を得ようとするのは当然なのだ。それが良いことなのは、わかっているのだが、感覚的に嫌になってしまう。
 私は、どちらかといえば弱いものや恵まれないものを応援し、少数派に加担することが多い。性格がそうさせるのであろう。世の中だから、ジャイアンツ嫌いがいてもよかろう。もし、プロ野球のファン全員がジャイアンツのファンだとしたら?…。東京ドームはオレンジ色のメガホンを持ったファンで埋めつくされ、対戦相手チームに拍手の一つも湧かない試合になってしまう。
 阪神、中日、横浜、広島、ヤクルトの各球団にそれぞれのファンがいてこそ、ジャイアンツ・ファンの面白さ、楽しさが増すというものである。プレーする選手の励みにもなる。
 私のごとき、まことに些少なアンチ・ジャイアンツ・ファンにも市民権はあるのはずだ。
 さて、春もたけなわ。スポーツ・シーズンの到来である。
 これから“阪神・野村、中日・星野、横浜・森、広島・山本、ヤクルト・若松”対“巨人・長嶋”監督の采配が面白くなってくる。ジャイアンツの各選手のデータが出揃ってきたからである。データ重視の監督たちの采配とカン(ひらめき)によって采配する長嶋監督との戦略の違いが見られる。
 ジャイアンツが勝った夜と翌朝のスポーツ・ニュースと朝刊のスポーツ欄を私は見ないし読まない。ジャイアンツ・ファンはこの逆なのだろう。
 ところで、だ。今日まで「私もアンチ・ジャイアンツ・ファンですよ」と言う人に会ったことが無いのである。アンチ・ジャイアンツ・ファンは些少どころか、皆無ではなかろうか、とおもってしまう。
 いい。私一人でも良い。今夜もアンチ・ジャイアンツ・ファンが、ひたすらジャイアンツの敗北を願ってテレビの前で拳をふりまわす。


 三十一音の韻律の文学の魅力にはまって三年になる。平成11年上期の河北歌壇賞(河北新報社・佐藤通雅選)を受賞した。
 短歌を勉強すればするほど、類形的でまとまりすぎて新鮮味がなくなった。表現が古めかしくて色褪せてきた…などと言われるようになった。むずかしいものである。「歌は人である」と言われるが、色褪せた自分にどんな春の彩りをそえて旬の短歌を作ろうか…と考えている。
柴田町船岡在住・渡辺 信昭