NO-19

(け)つまずく道ばたの塊(くれ)固く凍(い)て剛直のもの冬に顕(あら)わる

 快晴の日の蔵王山は白い屏風(びょうぶ)が蒼天にそそり立っているようだ。強い意志をもって屹立している。冬の蔵王山の標高が高くなることなど有り得ないことだが、他の季節よりも高々と見える。そして、山が厚い雲におおわれたかとおもうと、忽ち颪になって里に荒れる。冬の蔵王山に私は父性を感じる。
 21世紀の幕が開いた。

  何となく、今年はよい事あるごとし。元旦の朝晴れて風無し。

 石川啄木の短歌(「悲しき玩具」所収)だが、この短歌をおもいだしながら、<さて>と腕を組んだ。
 「よい事」が向こうからやって来るのを待っている訳にはいかなくなったのだ。今年の3月に、この町の町議会議員選挙がある。私の同級生3人(うち1人は現職)が立候補する。すでに投票依頼の声が掛かってきた。同級生以外にも勤務していた職場の同僚や上司の子息など、私の母親が衣類の行商をしていたころ品物を仕入れていた衣料品店の子息など、知人が乱立のさまで、投票依頼の声が頻りである。定数24人に30人を超す立候補予定者がいるらしい。
 私の同級生も意欲満々でエネルギシュに水面下の運動を展開している。そのうちの1人は「町議会議員になって、最後の花を咲かせたい」と言っている。彼が晴れて町議会議員に当選したとき<おれの人生に最後の花を咲かせることができた>と思えるならば、それはそれで良いが、そんな花を咲かせるために、私は大切な1票を彼に投ずるわけにはいかないのである。
 だが、同級生の一生懸命な活動には、多大な刺激を受けている。良い刺激だ。
 21世紀。私も文筆活動に力を入れなければならない。平成103月から作りはじめた短歌も丸3年目になる。ようやく短歌の優劣がわかってきた。優れた短歌を作る(他のジャンルにも言えることだろうが…)ために必要なことは、
  @短歌の使用する“ことば”を出来るだけ多く貯えること。
  Aその“ことば”を使いこなす能力を高めること。
  B感性を研ぎ澄ますこと。
である。
 先日、所用で仙台へ行ったおりに分厚い大学ノートを買ってきた。これにインデックスを貼り、あ、い、う、え、お…と分類して私が短歌を作るために必要な“ことば”を記入し、私だけの「短歌用語辞典」を作ろうとおもう。この分類だが“春夏秋冬のことば”あるいは“喜びや悲しみ”“顔の表情”“体の動き” …などと工夫して分類すれば、利用度が増してこよう。そして<とっても、じつに、まったく自分らしい短歌>を作ろう、と自分を鼓舞している。

  最終の息する時まで生きむかな生きたしと人は思ふべきなり

 窪田空穂が90歳で詠んだ短歌(「清明の節」所収)である。生きようとする意欲がみごとである。
 21世紀の前半、それも20102020年ぐらいに私は生命の終焉をむかえる。今年で62歳になる。すると、残年数は10年から1718年であろう。21世紀をむかえて、柔軟な頭脳で、あと何年短歌が作れるだろうか?と考えた。ふりかえってみると、その日その日を生きることに汲汲として、老後を考える余裕が無かったのが実情である。まだまだ自分は健康だからと“老いること”について考えることを避けてきた“きらい”もある。
 昨年、長男が結婚して隣の市内に所帯をかまえた。私の人生の大きな慶事であった。結婚させることで忙しいこともあったが「1つ肩の荷が下りた」という気持ちである。そんな忙しさの中で「孝行者の伝説」をおもいだした。
 長野県に姨捨山(おばすてやま)という標高1252mの山がある。長野市を出て篠ノ井線を利用し、松本市へ向かう途中、トンネルでこの山の下を潜り抜ける。有名な「おば捨て」の話しにまつわる山だ。一般的には「姥捨て(うばすて)」だが、この山の伝説は「姨捨山(おばすてやま)」である。
 年老いたおばを大切にしていた若者が嫁をもらう。すると嫁は老いて農作業を手伝うことができなくなったおばを山に捨ててくるように若者に命じる。若者はおばを背負っていって山に置き去りにしてくるが、心痛に耐えられず連れて帰って孝行する。
 私が介護が必要になるほど老衰したとき、息子夫婦を頼りにしなければならなくなるのだろうか?と考えたのである。
 生命には限りがある。だれにでも終焉がくる。私は、21世紀の前半20102020年ぐらいの間に終焉をむかえるのだ。(…これは事故を想定しない、まことに当てずっぽうな“感じ”を根拠にしている。)それならば、そのことについて無知でいるわけにはゆくまい。
 “老いてゆく”ことについて覚悟して学習しようとおもうようになってきた。人生の集約としての“老い”に真正面から向きあってみようとおもう。私が痴呆症老人になるこだってありうる。そのとき、学習したこたは無駄になるだろうか?。否やとおもう。私は、生命の終焉について学習した知識は血や肉になって残るのではないか、とおもうようになった。生命は脳細胞だけにあるものではない。考えはじめたばかりで、確かなことは言えないが“老いること”を学習するということは「体の全てで学び確認もする」ということではないだろうか…と。つまり、数学や国語の学習とは違い、皮膚や筋骨を使って学習することが“老いること”を学ぶということになりはしまいか?。と思いはじめたのである。
 まず、新聞紙上にある関係記事のスクラップをはじめた。21世紀の私の生涯学習のはじまりである。


 三十一音の韻律の文学の魅力にはまって三年になる。平成11年上期の河北歌壇賞(河北新報社・佐藤通雅選)を受賞した。
 短歌を勉強すればするほど、類形的でまとまりすぎて新鮮味がなくなった。表現が古めかしくて色褪せてきた…などと言われるようになった。むずかしいものである。「歌は人である」と言われるが、色褪せた自分にどんな春の彩りをそえて旬の短歌を作ろうか…と考えている。
柴田町船岡在住・渡辺 信昭