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魚市場にて購(あがな)いし朱の海鞘(ほや)を乳房のごとく掌(て)につつみたり

 先月の15日(日)、宮城県東務庁・第5教区の護寺会の研修会があって、宮城県石巻市の古刹を参拝した。石巻魚市場内の食堂「海鮮いちば」で昼食をとり、午後は多賀城市にある東北歴史博物館を見学してきた。
 曹洞宗の第5教区(宮城県柴田群内)には19のお寺が有り、1か寺2名ずつの役員が研修に参加した。住職さんも参加した寺があって、総勢42名。バス1台での研修だった。
 10時に石巻市の古刹永巌寺に到着。般若心経(はんにゃしんぎょう)を唱えて先祖の供養をし、のちに寺院を見学させていただいた。石巻市では最大の寺院で、本堂は新築されたばかり(落慶が平成1010月)で、何もかもが光り輝くようであった。とくに、本堂の高い欄間には大きく口を開いた龍の彫物があり、躍り出るような力をひめていて、目をうばわれた。
 富山県井波町に住む若手の彫師の作品だという。この彫師にとっては永巌寺の欄間のような大きな彫物は初めてだったらしい。永巌寺の方丈様が、この彫師の作品を見る機会があり、その腕に惚れこんで依頼したという。才能を見いだす優れた人の目と、才能を秘め、それを研ぎ澄ませて世に出ようとしていた若者が手を握り合ったとき、この欄間の作品は、すでに形を形成していたに違いない。若い彫師は寝食を忘れて龍を彫り続けたのであろう。その熱意と情念がほとばしっているな、とおもった。
 昼食は魚市場の食堂「海鮮いちば」でとった。海の幸を存分に堪能させていただいた。食堂は2階に有り、1階は魚市場である。朱色の海鞘(ほや)が海の果実のようにあざやかに並んでいた。

腕組みで憩うがごとき土偶あり子を産まむとす母とし聞けど

 午後2時すぎに多賀城市の東北歴史博物館に着き、約1時間見学した。
 東北の仮面展(能楽、神楽面など)が開催されていて、時代ごとに表情豊かな270点ものお面が展示されているのは圧巻であった。博物館に入ってすぐ“祈り”を感じた。私は宗教について学んだことも無いし、歴史にも疎い。が、博物館全体に古代人の祈りがこもっているように感じた。それは心地よい、すがすがしい、健康的な祈りである。展示されている1つのお面でも、それを打った人はどんな“おもい”をこめたのだろうか?…。神楽の面であれば、神が宿るとおもったことは無かったろうか?…。そんなことを思いながらお面を見た。
 土偶のコーナーに立ったときである。小さな20pばかりの土偶に興味をもった。華奢な女性が腕を組み、右足を左足の膝に乗せている土偶にである。仙台駅のコンコースのベンチでスラックスの女性が優美に足を組んでいるような姿である。名称は「腕組みをする女性」であった。
 土偶の女性も足が長く、丸顔で目が大きくて愛らしい。説明文を読んで驚いた。3500年前に作られた土偶で、出産をしている姿勢なのだという。土偶といえば縄文時代の後・晩期に多く作られ、女性像が多いことを中学生か高校生の日本史の時間に教わった記憶がある。「腕組みをする女性」の隣には、足腰がたくましく、胸を張った、両腕の太い顔の大きな女性像があった。
 小さな土偶は〈あまりにも女性らしい姿〉なのである。この姿勢で縄文時代の女性が出産したとすれば、驚きでしかない。医学的にも合理的で理想的な姿勢であれば、現在の出産にも取り入れられているはずだろうが、聞いたことがない。
 「腕組みをする女性」は輪切りの丸太のようなものに腰を下ろしていた。あの、丸太のようなものも出産に必要な道具?だったのかもしれない。いや、このようにリラックスした姿勢で出産ができたら、どんなに良かろうか…と、祈りの対象としてこの土偶を作ったのではなかろうか、ともおもったが、否定した。学術的な裏付けがあるからこそ「出産をしている姿勢」と表記しているのであろう。
 それにしても愛らしい土偶は足を組み、今も、心の中で生き生きと微笑している。


 三十一音の韻律の文学の魅力にはまって三年になる。平成11年上期の河北歌壇賞(河北新報社・佐藤通雅選)を受賞した。
 短歌を勉強すればするほど、類形的でまとまりすぎて新鮮味がなくなった。表現が古めかしくて色褪せてきた…などと言われるようになった。むずかしいものである。「歌は人である」と言われるが、色褪せた自分にどんな春の彩りをそえて旬の短歌を作ろうか…と考えている。
柴田町船岡在住・渡辺 信昭