ことしも植木職人が来て、狭庭の樹木の剪定をしてくれた。毎年9月末ごろに来てくれる。3人の職人が2日がかりで刈り込む。17年前に家を新築したとき、造園業の知己が庭を作ってくれた。敷地は町道の西側に4区画あったうちの3区画目を購入した。約80坪ある。南面を開けて、約40坪の2階家を建てた。息子の駐車場を確保し、残った25坪(原稿を書くために測ってみた。)が庭である。
西側のブロック塀に沿って貝塚伊吹(カイヅカイブキ)が7本。中央には犬黄揚(イヌツゲ)が植えてある。おおよその配列は、東から楓(カエデ)矮鶏檜葉(チャボヒバ)犬黄揚、松、松、それに西側の塀に沿った貝塚伊吹となる。貝塚伊吹に並ぶように山茶花(サザンカ)と七竈(ナナカマド)があって、満天星(ドウダンツツジ)、八っ手、躑躅(ツツジ)などの低木が、その間合いを埋めている。
河北花壇に入選した庭の樹木を詠んだ短歌である。私の母は、平成9年8月に88歳で他界した。その母が達者なころの話だから6〜7年前のことである。
西隣に家を建てた元大工職人の老主人が「貝塚伊吹が境界を越えて、わが家の通路に枝を伸ばしているのは、けしからんことだ」と母に言ったという。確かに、ブロック塀の中心線から5〜10pばかり隣家側に枝先が入り込んでいた。樹木は年々成長する。このままでは更に伸びてくるだろうと、気にしたのだろう。所有地への不法侵入である。隣家は東向きに玄関があって貝塚伊吹に沿った通路を出入りする。 4区画の宅地購入者のうち、私が一番先に家を建てた。そのとき、塀をどうしようか、と思った。自分の敷地内に建設すれば事は簡単なのだが、このあたりでは、隣り合った者同士で経費を折半し、境界線上に建設するのが通例なのだ。 そこで、両隣の御主人に相談に行った。業者の見積書持参である。私のもっとも苦手な他人様との交渉事である。両隣とも、そのうちに家を建設するのだから、損は無いはずだが、お金を負担してもらうのが嫌だった。 やはり、ブロックを何段積むかで注文が出た。が、なんとか了解を得て、2分の1ずづの工事代金を負担してもらった。(その後も宅地に接続している私道の整備や排水溝の設置についてなど交渉事はつぎつぎに発生した) ブロック塀は境界上に一直線にブロックを積み上げてゆくだけてはない。途中の2カ所にTの字形の支えを作る。地震で倒壊しないための工法である。約60pある東西の支え4基は私の敷地内に設置した。これも塀の両側に1基ずつ分担して設置すべきだろうが、話し合っているうちに嫌になり、全て私の敷地内に置いた。 その支えが老主人の玄関前の塀のわが家側に有るのだ。老主人側に有ればはなはだしい障害になるはずである。<不自由を負担してやっているのに…>と癪(しゃく)に障った。私は高さが4mもある7本を根元から切り倒すつもりで植木職人に来てもらった。 すると「いだますいがら、倒さんすな。枝半分ば切り落どすてけっから」という。貝塚伊吹は円柱型に枝葉を茂らせる。老主人側の半円部分の枝を全て切ってしまうのだと言う。すれば、とやかく言われる筋合いは無いのだと…。植木職人も感情を高ぶらせていた。毎年手をかけている樹木のこと、いとおしさもあったのだろう。忽ち、7本の貝塚伊吹の半身を切り落とした。<すごい。>こんな形の樹木を見たことは無い。私が、身体の前面にパリッとしたスーツを着こみ、お尻側の後ろ半身を裸で見せているような姿である。それでも、私の家側から見ると、庭の背景に相応しい形で不都合は無いのだ。 老主人側は、まことに気恥ずかしい姿である。茶色の幹から魚の骨のように枝が出て、切り落した枝の跡が生傷のようになった。が、この場合見栄えは我慢してもらうしかなかった。 私は老主人から提出された問題をクリアしたのである。老主人は度肝を抜いたにちがいない。植木職人がこれほど無残な形に木を処分するとは思わなかったらしい。<境界から出ている枝先を切り取るだけだろう>と、高を括っていたようであった。 痼(しこり)が残った。老主人とは、ぎくしゃくした関係になった。そのうちに私の母が他界し、老主人の妻もこの世を去った。隣り合わせで生活していれば、知らん顔の出来ないことがいくつもある。歳月が二人の関係を正常にしてくれた。 不憫なのは貝塚伊吹である。光も風も雪も、半身で受けとめるしかない。光合成も十分にはできまい。人間の都合だけで移植されたり切られたりである。手を合わせて詫びなければならないような気持ちになる。 楓、満天星の葉が朱にそまってきた。縁側で庭の樹木と語り合う時間が増えてくる。
三十一音の韻律の文学の魅力にはまって三年になる。平成11年上期の河北歌壇賞(河北新報社・佐藤通雅選)を受賞した。
短歌を勉強すればするほど、類形的でまとまりすぎて新鮮味がなくなった。表現が古めかしくて色褪せてきた…などと言われるようになった。むずかしいものである。「歌は人である」と言われるが、色褪せた自分にどんな春の彩りをそえて旬の短歌を作ろうか…と考えている。 柴田町船岡在住・渡辺 信昭
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