NO-13

台風が秋雨前線刺激して草臥(くたび)れるほど傘の日ばかり

 今年は、稲の実入りが早かった。適宜な降雨と夏の猛暑のためである。ところが…である。日記風にまとめてみると。
 <8月28日(月)> 隣の角田市の農家で県下に先んじ稲刈りをはじめたニュース映像が流れた。出荷米も食糧事務所の検査で1等米ばかりだと、豊作を報じていた。県の農産園芸課は、宮城県南部の刈り取りの適期を、品種の「ひとめぼれ」で9月1日だと発表した。
 <9月8日(金)> 朝の散策コースの周囲の田んぼは、5分の1ぐらいで稲刈りが終わっていた。“明日と明後日の土、日曜日で、かなり稲刈りが進むだろうな”と思った。ところが、皮肉にも雨になった。この町の農家は、ほとんどが兼業農家であり、農作業は休日を利用して行われる。9月8日の夜からの雨が、今年の刈り取りの時期を遅らせる引き金になった。
 <9月12日(火)> 台風に刺激された秋雨前線が日本列島の上空で活発に動き始めた。名古屋地方では集中豪雨で河川が氾濫し、人家が水没し甚大な被害が発生したのも、記憶に新しい。
 <9月14日(木)> 所用で仙台市へ出かけた。広大な水田地帯である名取耕土の稲はどんな状況だろうと心配して行ったが、意外なほど倒伏しているものが少なかった。品種の改良が進み「身体の丈夫な稲」が栽培されているのであろう。品種改良、肥料などの改良などの研究開発、栽培技術の進歩は、私のような素人が想像する以上に革新されているのであろう。
 <9月22日(金)> 今朝のことである。(10月1日号用の原稿を書きはじめた。が、いつも雑用に追われて遅くなってしまう。編集者の加藤嘉昭君へは発行日の5日前までに着くようにしたいのだが、2〜3日前になってしまう。)
“明日は散歩に行くぞ”と思って就寝すると、午前4時には目が覚める。夏の間、4時30分に自宅を出発した習慣(リズム)が体内時計に刻まれているらしい。目覚めれば仕方がない。「えい」とばかりに床を出る。外はまっ暗である。まず、洗面所の水で顔を洗って気分を引きしめる。それから、寝静まっている家人の迷惑にならないように注意しながら準備運動をする。足に腰、上半身からアキレス腱まで入念に屈伸を繰り返す。
 朝の気温は15〜18℃ぐらいまで下がってきた。いままでは半袖のTシャツだったが、長袖の運動シャツを着て家を出た。懐中電灯を持参する。時刻は4時30分。下弦の月で星も鮮明な空である。こんなときは“しめた”と思う。おぼろ雲が東の空に広がっている。私は東に向かって歩きはじめる。阿武隈川・阿武隈高地の方向で、その彼方は太平洋である。たとえば、西の蔵王連峰をめざして散策することもできるのだが、朝は東に向かうのがいい。明けてくる空に生命の脈動を感じるからだ。
 スーパー「北海屋」の前を通り「東北電力船岡変電所」のわき道でトランスの低いうなり声を耳にして行くと水田地帯になる。懐中電灯と街路灯、それに月明かりで見る田んぼにはコンバインの深い轍(わだち)が残っていた。ひどい泥濘(ぬかるみ)での稲刈りだったのだろう。
 北東の仙台市の方向から東の阿武隈高地にかけて、空があかね色に染まってくる。上気した少年と少女の頬のような、ういういしい色である。東船岡小学校の時計が、影のように高く、あかねの空に立っている。
 <9月12日(火)>にもどる。この日の夜はわが家の菩提寺・大光寺の秋の夜祭りだった。私は寺の役員で祭りの世話役である。激しい雨の夜になった。例年は境内に仮設の舞台を設置してお神楽と演歌歌手の歌謡ショーを行うのだが、今年は法要会館の大広間に舞台を用意し、出し物を参拝客にみていただいた。
 寺の役員には農家の方が多い。親しい阿部さんに「この雨で、まだ稲刈り遅(おぐ)れっぺっちゃねや」と言うと「んだ。乾(かわ)ぐまで、待ってっぺっちゃ」と事も無げに言う。あまりに困った表情をしていない。“ほほう…”と感心した。
 毎年のことだが、稲の刈り取りの時期には長雨が降る。昨年も秋の長雨にたたられた。台風におそわれることもある。素人の心配をよそに農家の皆さんは逞しく冷害をのりこえ、日照りには苦心惨憺して水を確保し、秋の台風に耐えて稲を収穫してきた。長雨ぐらい狼狽(うろた)える農民ではないのである。
 宮沢賢治の「春と修羅・第3集」の中の詩を思い出した。

 和風は河谷いっぱいに吹く

 とうとう稲は起きた
 まったくのいきもの
 まったくの精巧な機械
 稲がそろって起きている
 雨のあいだまっていた穎(ほさき)は
 いま小さな白い花をひらめかし
 しずかな飴(あめ)いろの日だまりの上を
 赤いとんぼもすうすう飛ぶ
 ああ
 南からまた西南から
 和風は河谷いっぱいに吹いて
 汗にまみれたシャツも乾けば
 熟した額やまぶたも冷える
 あらゆる辛苦の結果から
 七月稲はよく分蘖(ぶんけつ)し
 豊かな秋を示していたが
 この八月のなかばのうちに
 一二の赤い朝焼けと
 湿度九〇の六月を数え
 茎稈(けいかん)弱く徒長して
 穂も出し花もつけながら
 ついに昨日のはげしい雨に
 次から次と倒れてしまい
 うえには雨のしぶきのなかに
 とむらうようなつめたい霧が
 倒れた稲を被っていた
 ああ自然はあんまり意外で
 そしてあんまり正直だ
 百に一つもなかろうと思った
 あんな恐ろしい開花期の雨は
 もうまっこうからやって来て
 力を入れたほどのものを
 みんなばたばた倒してしまった
 その代わりには
 十に一つも起きれまいと思っていたものが
 わずかの苗のつくり方のちがいや
 燐酸(りんさん)のやり方のために
 今日はそろってみな起きている
 森で埋めた地平線から
 青くかがやく死火山列から
 風はいちめん稲田をわたり
 また栗(くり)の葉をかがやかし
 いまさわやかな蒸散と
 透明な汁液(サップ)の移転
 ああわれわれは曠野のなかに
 蘆(あし)とも見えるまで逞ましくさやぐ稲田のなかに
 素朴なむかしの神々のように
 ぶんべんしてもぶんべんしても足りない
(縦書きを横書きにしました)
 自然の猛威に負けまいとする農業技術の革新をうたいあげた賛歌である。

 このたびの収穫期の長雨で、私の周囲に悠揚と米作りをしている農民がいることがわかった。品種改良と栽培技術の革新によって頑丈になった稲のことをあらためて認識したひと月であった。
 減反をはじめ、産米の政府買い入れの問題。今年の米価はいくらになるのか。農業従事者の高齢化の問題など、私のような素人が途方にくれるような難問が山積している農村のひと月であったことも知らないでは無い。



 三十一音の韻律の文学の魅力にはまって三年になる。平成11年上期の河北歌壇賞(河北新報社・佐藤通雅選)を受賞した。
 短歌を勉強すればするほど、類形的でまとまりすぎて新鮮味がなくなった。表現が古めかしくて色褪せてきた…などと言われるようになった。むずかしいものである。「歌は人である」と言われるが、色褪せた自分にどんな春の彩りをそえて旬の短歌を作ろうか…と考えている。
柴田町船岡在住・渡辺 信昭