NO-11

睡蓮(すいれん)の花咲きさかる背景に低い日射しの季節ひそみ

蓮(はす)の影白くしずめる沼底に幽かおさな魚(な)こもるを識りて

 お盆の15日、横須賀にいる弟が帰省した。お墓参りに来たのだが、妻を同伴して3日間、我が家に宿泊していった。
 購入した新車での遠出が楽しそうだった。
 亡母の生家(隣の宮城県角田市)を訪ね、仏壇に香を手向けての帰り道、蓮(はす)の花で有名な手代木沼(てしろぎぬま・角田市高倉手代木地内)に立ち寄った。
 蓮が満開であった。薄紅の大振な花が水面に犇めきあっていた。直径30pもある円形の葉の濃い緑が、いっそう薄紅を際立たせている。
 沼の西北は小高い丘で樹木が生い茂り、午後の日射しを遮っていることも、花の印象を強めていた。
 手代木沼は藩政時代に高倉川の下流の岡村と花島村(角田市に合併した)の灌漑用水を確保するために作られたものだという(角田市観光課に問い合わせた)。上沼(かみぬま・蓮の無い沼)と下沼(しみぬま・花の沼)とがあり、面積は上沼が1.3ヘクタール有る。下沼は大きな小学校の校庭ぐらいの広さである。
 蓮は地区民が「れんこん」を収穫するために植えたという。冬鳥(白鳥・雁・鴨など)の越冬する沼としても知られている。
 まだ、沼の周囲に駐車場などが整備されない頃のことだから、34年前になるが、これもお盆に妻の姉が来宅した。長男の乗用車で沼を見に言った。観光客はまばらで、沼は静かだった。
 人目が無いことを好胃ことに、私は蓮の蕾を2本手折り、帰って仏前に供えた。
 ある直木賞作家が、花屋の女主人の小説を書いている。若い主人が茶会に桜の大きな枝を頼まれる。その頃、東京は桜の季節が過ぎていた。女主人は、白河まで(だったとおもうが…)桜の下見に来た。ほどよい山桜を見付け、早朝、この枝を切りに来る。
 老使用人が女主人に言う。
 「花盗人(ぬすっと)は咎(とが)められねぇっすから、よござんす」と。
 江戸っ子の粋(いき)が言わせた台詞だ。窃盗罪呼ばわりするのは不粋者(ぶすいもの)なのである。
 あのとき、私は、この台詞を思い出し、花を盗むのは許されるのだとおもったものである。
 小説の花盗人は江戸っ子だから咎められないのである。地方育ちの私には適用しない。案の定、蓮は咲かなかった。薄紅色の蕾が日ごと、ほっそり身を細めて枯れた。
 沼の養分と水、西北の高台の樹木が調節する光量や風、それこそ周囲の環境が力をつくして花を咲かせているのである。
 無惨に手折られた蕾が水道水で咲くわけがない。あるいは、手向けられたご先祖が私を咎めたのかもしれない。いや、手代木沼の生命が私に反省を強いたのであろう。
 弟夫婦と妻のそばに立ち、私は痛恨のおもいで沼の花を見ていた。
 目をあげると、花の背景に早や秋の低い日射しがあった。


 三十一音の韻律の文学の魅力にはまって三年になる。平成11年上期の河北歌壇賞(河北新報社・佐藤通雅選)を受賞した。
 短歌を勉強すればするほど、類形的でまとまりすぎて新鮮味がなくなった。表現が古めかしくて色褪せてきた…などと言われるようになった。むずかしいものである。「歌は人である」と言われるが、色褪せた自分にどんな春の彩りをそえて旬の短歌を作ろうか…と考えている。
柴田町船岡在住・渡辺 信昭