NO-10

人気無き乗換駅に霧流れ薄明地帯歩み初(そ)めたり

 霧の中を歩くのが好きだ。それも、いつもの散策コースに霧がかかっていればいい。見慣れた風景が単純化され、山水画のようになる。送電鉄塔がズラリと水田に並んでいるはずが、1基か2基、影のように霧に浮いていたりすると、うれしくなる。里山の頂の樹木が5〜6本黒々と姿を見せてくれるのもいい。
 大きな木だけが霧を突きぬけているのだろうか?
 野外ハンドブックの「雲」(編者・飯田睦治郎。山と渓谷社)によると、山中や高地に発生するものを層雲(俗に“きり雲”)といい、温暖前線の影響で発生するものを前線霧(ぜんせんぎり)とよぶのだという。とすると、私は前線霧が好きなのである。
 8月4日、所用で仙台市へ行ってきた。いつものように東北本線の船岡駅542分の始発電車(松島行き)に乗り長町駅(仙台駅の1つ手前の駅)で下車した。駅は濃い前線霧におおわれていた。
 長町駅前にも高層ビルが建設され、年毎に仙台市の副都心化している。
 私は、地下鉄に乗り換えるために45分、霧の街を歩いた。
 「古いなぁ」と言われるかもしれないが、石原裕次郎が、こんな霧の街を恰好良く歩いていたっけ、とおもった。
 私も、ズボンのポケットに手を突っ込み、肩で風を切って薄明地帯を歩いていった。
 
はるかなる旅情へ茜雲曳(ひ)いてカーブしてゆくジェット機ありぬ

 海沿いに、いわき市から東京方面へ南進するとおもっていたら、私の頭上で大きく西へカーブした。
 旅客機は蔵王山の方角へコースを変えたのである
 723日(月)午前5時のことであった。
 快晴の朝、阿武隈高地の上空にひとひら翼のような雲が浮いていた。その東端を旭光が染めたかとおもうと、たちまち茜から黄金色に色が変わる。ローソクに火を灯して光量が増してゆくときの光の変化に似ている。
 チカッと白く光る機影が北西の空にあった。丁度、仙台空港の方角である。旅客機だとおもった。時刻表で確認すれば、いいのだろうが、曖昧にしてしまうのが私の性格である。茜の飛行機雲を引いていた。
 この町に長く住んでいて、これまでに飛行機雲は何度も見てきたが、すべて(?)は南の方向へ引かれるものばかりであった。全てと断言するには若干の躊躇(ちゅうちょ)があるが「ほとんど」となら言い切れる。
果てもなき高さよ冬の蒼天(そうてん)を機は一条の雲引きてゆく
 平成101210日の河北花壇に入選(佐藤通雅選)した短歌だが、この飛行機雲も仙台方面からこの町の上空へ引かれ、いわき市の方向へ流れた。
 航空自衛隊のジェット機が引いたものである。
 旅客機とは速度が違うのでよくわかる。
 また、野外ハンドブックの「雲」で飛行機雲を調べると「飛行機から排出される燃料ガスと水蒸気によって発生したり、飛行で生じる空気の急激な膨張と翼端や排気筒の後にできる空気の渦が原因で発生する」とある。そして「氷点下29℃より低い大気中でなければ発生しない」のだという。
 その日は爽やかな夏の朝で、気温は2527℃位だったとおもう。その上空は氷点下29℃以下だったのだ。
 自然界の不思議、すごさ、未知なるもののはてしなさをつくづくおもったものである。
 私の頭上で大きくカーブし、茜雲を引いて蔵王山の方角へ向かった旅客機の行く先はどこだったのか。
 これも、私が抱えている多くの謎の1つに加わるのである。


 三十一音の韻律の文学の魅力にはまって三年になる。平成11年上期の河北歌壇賞(河北新報社・佐藤通雅選)を受賞した。
 短歌を勉強すればするほど、類形的でまとまりすぎて新鮮味がなくなった。表現が古めかしくて色褪せてきた…などと言われるようになった。むずかしいものである。「歌は人である」と言われるが、色褪せた自分にどんな春の彩りをそえて旬の短歌を作ろうか…と考えている。
柴田町船岡在住・渡辺 信昭