住宅街を抜け、田畑の広がる道に出ると壮快になる。酸素が多いからだろうか、などと考えながら歩いてゆく。畑の夏野菜が食べごろになっている。
唐黍(とうきび)は私の背丈ぐらいに茎が伸び、枝分かれの部分に太い実をつけている。先端のヒゲが赤褐色になって、取り立てを茹でて食べたら、さぞかし旨いだろうな、などとおもってしまう。 唐黍はヒゲが大切で、これに雄花の花粉が付いて受精するのである。 畑にある夏野菜だが、私が住んでいる町で生産された野菜を口にすることはほとんどない。(農家の知人にいただいたものは別だが…)生産量が少なく、農家の自家用野菜の栽培が主なのであろう。 妻は食料品のほとんどを「アイ・ユー」と「北海屋」それに「イトーチェーン」というスパーで購入しているが、そのほとんどは県外産である。たとえばトマトだが、ここ数日食べているものは「JA千葉経済連」の「スーパートマト」なのでる。入れ物のダンボールの箱に大きく印刷してある。流通機構の複雑さに驚いてしまう。 南瓜(かぼちゃ)は子房がふくらみ南瓜の実らしくなってきた。胡瓜(きゅうり)は青々と柵に垂れ下がっている。里芋の葉も私の手の平より大きくなってきた。 畑作物の成長ぶりを見ながら上名生(かみのみょう)集落に入ると小さな水門がある。このごろ私はこの水門に惚れこんでしまった。 土手には夏草が茂る何処にでも有りそうな用水路に設置されている。用水は西から東へ。蔵王山から阿武隈川の方向へ流れている。水路の幅は1.5mぐらい。水量が豊富で「ふかい、おぼれる、あぶない」と書いた小学校の立札もある。 この用水路にコンクリートで└┘形のワクを作り、そこに仕切り板を差し込むだけの構造である。 厚い板3枚?(水で良く見えない)を差しこむと、南側に口を開けている土管(直径40p位の逞しい管である)に水が分流する仕掛けなのである。 土管に溢れることもなく、直径の4分の3位の水量が流れ込んでゆく。また、仕切り板を越えてゆく下流への用水も確保されている。 つまり、水門の上流の水田を潤し、南側の田んぼに水を注ぎ、下流の水田へも水を供給するという巧みな働きをしている。 水量によって仕切り板を調節する水番役がいるから、十分な働きをするのだろうが、その方のご苦労もしのばれるのだ。 梅雨期は降雨によって日に何回も仕切り板の調節をしたのであろう。 秋の豊穣は、このような小さな水門や水番役のご苦労からもたらされるものであるような気がしている。
所用で仙台市の富沢公園内の道を歩く機会が多い。隣接して仙台市体育館が有る広い公園である。
周囲には高木が植栽され、砂場や遊具、東屋(あずまや)もあって、小さな子どもを連れた若いお母さんたちが沢山来ている。100羽もいるだろうか、鳩も住みついている。 餌を与える人がいて、そのときは鳩の群れに騒動が起きる。帰り足のとき20分〜30分はベンチに腰をおろして休息をとる。 公園の周囲の樹木で目を引くのは垂(しだ)れ柳である。樹高が10m位のものが5〜6本はある。私は柳がこれほど大樹になることを知らなかったので、始めて見たときは信じられない思いであった。風に枝葉がそよぐと涼しさがつたわってくる。欅(けやき)は両手を回しても届かないぐらいの幹回りのものが4〜5本ある。檜(ひのき)は1本だけで、葉が紺青で幹が細くしなやかだが、15p位の高木である。周囲を引きしめるような雰囲気があって、孤高にさえ見えてくるポプラは広い葉が風に鳴る葉ずれの音に趣がある。 桜は高木に挟まれ生育環境が悪いか、生気が無い。 これらの高木の間に椿や山茶花などの小高木、満天星(どうだんつつじ)や青木などの低木が植えてある。造園業の設計業者によってバランスよく植栽されたのだろうが、自然界にはこのような植生は無い。が、都市生活者にとっては、貴重な樹木との触れあいの場所である。 私も、近くの里山で、この樹木それぞれに触れようとすれば、大変な苦労をする。 ふと気がついた。 この公園には臭いが無いのである。山や川の夏草のむっとする青臭さが無かった。樹木の周囲は芝におおわれて、短く刈り込まれている。 やはり、スマートな疑似自然界なのだとおもった。 木陰を乳母車を押してゆく若い母親がいた。うっとりと、緑に酔っているようであった。 三十一音の韻律の文学の魅力にはまって三年になる。平成11年上期の河北歌壇賞(河北新報社・佐藤通雅選)を受賞した。
短歌を勉強すればするほど、類形的でまとまりすぎて新鮮味がなくなった。表現が古めかしくて色褪せてきた…などと言われるようになった。むずかしいものである。「歌は人である」と言われるが、色褪せた自分にどんな春の彩りをそえて旬の短歌を作ろうか…と考えている。 柴田町船岡在住・渡辺 信昭
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