NO-8

集落の鎮守の赤いトタン屋根照りきさわやかに遠景にあり

わが裡(うち)に樹液をそそぐ林あり昆虫のごと屈(かが)みておれば

 この春から散策の足を伸ばし、上名生という集落を歩くようになった。阿武隈川に近い集落である。
 430分から50分ごろ、青田や家並みの道を行くと、阿武隈高地の北端の七畝山(ななうねやま)から朝日が昇ってくる。行く手の真正面の赤いトタン屋根に曙光が反照してあざやかである。
 私の左後方から日が昇るのだが、この建物も背後から朝日をあびる。上名生集落の鎮守の八幡神社である。この社の屋根は萱葺きだったはずだが、久しぶりに訪ねてみると、赤いトタンに葺替えられていた。材料が乏しく職人も少なくなったためだろうが、防火にも優れているからであろう。
 私が住んでいる船岡地区の鎮守、白鳥(しらとり)神社も赤いトタン屋根になって久しい。
 早朝の八幡神社の境内は静謐で心身が清められるような気持ちになる。境内を歩測してみると、東西が27歩で南北に40歩あった。私の歩幅は約45pなので、東西が12mで南北に18mの楕円形の境内である。入口の鳥居は銅板張りで、木柱と笠木(かさぎ)貫(ぬき)が丁寧に銅板で包んであった。
 信仰の深さがおもわれた。
 本殿、社務所、不動堂も丹念な細工の建物で、長い歳月での傷みはあるが、風格がある。
 境内の西側に山神碑が5基並んでいた。風化がひどく、刻まれた文字の判読できるのは「山神」が2基で、残る3基のうち「湯殿山」「羽黒山」かな?とおもわれるものがあったが、確かではない。
 「あっ」と声が出そうになった。
 数年前までは、山神碑に合掌すると、彼方に蔵王山が望めたのではないか、と思ったのである。
 町の広報紙の編集を担当していたころ、約30年も前のことだが、この神社の祭礼を取材したことがあったが、山神碑にも、蔵王山にも気づかなかった。
 今は、境内の西側、山神碑の近くに家屋が1軒建っている。建築後間もないような新しさだ。
 かっては、山神碑に合掌しながら、蔵王山へも祈りをささげたに違い無いと確信した。
 山は肥沃な土壌と豊かな水をもたらして農村を潤してきた。
 山神は春先になると山を下り、里に恵みを与えて秋の取り入れが済むと山へ帰っていった。
 山神を迎える神事、山神を送る神事が各地に残っている。
 山神碑を離れて本殿の裏の方へ行くと、馬頭観世音の碑が13基並んでいた。
 馬は農作業に欠かせない労働力であったが、戦時中、陸軍の徴用(ちょうよう)になって死亡した馬がかなりいた。これらの碑の中には、軍馬となって犠牲になったものもあるのであろう。
 馬頭観世音の碑は杉木立の中にあった。
 ふと、私は昆虫になったような感覚をおぼえた。
 直径20p位の杉の若木が私に樹液をそそいでくれた。


びしょ濡れの紫陽花重く地内明神(みょうじん)の小さき社(やしろ)にもたれ色冴ゆ

5時の紫陽花の花の蝸牛(かたつむり)ひとつ緑に銀を曳(ひ)きたり

 わが家の庭に紫陽花(ガクアジサイ)がある。紫陽花は梅雨期にもっともふさわしい花である。雨あがり、雨滴の残る青紫の花は凛と庭を圧する。
 アジサイはガクアジサイを母種に、日本で品種改良された園芸品種なのだという。花の形や色を更に美しく変えようとする人間の欲は、私には贅沢なことに思えるが、改良されたアジサイの美しさも一入(ひとしお)で、品種改良もいいものだと思ってしまう。
 散策をしていると、多くの家の庭に紫陽花が咲いている。白やピンクもある。わが家の花は日陰になると青紫に、日が当たるとピンクになる。
 紫陽花の下に地内明神を祀っている。亡父母が宮城県藤尾村(現角田市)から福島県内郷村(現いわき市)へ。それから宮城県船岡町(現柴田町)へと転居したが、明神様も家族と一緒にこの地へ引っ越してきた。毎朝ご飯を供え、祖先が合掌したように私も手を合わせている。
 この小さな社にもたれるように紫陽花が咲いている。
 先日、濃緑の葉の上を蝸牛が這っていた。毎年この花で蝸牛を見るが、今年は初めてなのでうれしくなった。
 「元気でいてくれたかい」という気持ちである。うず巻きの殻の直径が3p、頭から突き出た触角の先端の目から尾までが8pもある大物だ。
 カタツムリがマイマイという軟体動物で「魚貝の図鑑・小学館」に掲載されていることを知ったのは、ごく最近のことである。「動物の図鑑」にカタツムリは無かったのである。
 海の貝の仲間で″陸の巻貝″とよばれ、ナメクジも同種なのである。アワビ、ホラガイなどとも親戚だというから面白い。
 ぜひ「魚貝類」の図鑑でマイマイをお調べいただきたいものである。


 三十一音の韻律の文学の魅力にはまって三年になる。平成11年上期の河北歌壇賞(河北新報社・佐藤通雅選)を受賞した。
 短歌を勉強すればするほど、類形的でまとまりすぎて新鮮味がなくなった。表現が古めかしくて色褪せてきた…などと言われるようになった。むずかしいものである。「歌は人である」と言われるが、色褪せた自分にどんな春の彩りをそえて旬の短歌を作ろうか…と考えている。
柴田町船岡在住・渡辺 信昭