私の周囲で麦を見ることが珍しくなった。散策のコースに一反歩だけ麦が育っている減反田があり、そばを通るたびに立ち止まって見た。麦の生長が楽しみだった。5月中旬には黄金色に成熟した。風で穂波が、ひとえ、ふたえに靡く。穂波で風の形が変わる。直進する風は、まず無い。折れ曲がったり、ねじれたり、かけあがったり、吹きおろしたりする。それが、30pの波にもなれば、5m〜10mのうねりにもなる。周りが青田だから、黄金色がひときわ鮮烈だった。
6月5日に行ってみると、刈り取られていた。少し寂しい気持ちになった。品種は大麦だったが、人間用ではなく、家畜の飼料になるらしい。梅雨の到来を覚った。 雨の季節は通勤や通学、外で仕事をする人達には、やっかいで憂鬱だろうが、植物には恵みのシーズンである。 緑雨や穀雨、慈雨や翠雨(すいう)と、雨を表現する言葉はいろいろで、状況によって使い分ける日本語はすばらしいとおもう。 私は梅雨の季節が嫌いではない。雨にけぶって山野の輪郭が朧(おぼ)ろになるあいまいさがいい。生命の活動が旺盛で草木がぐんぐん生長するためか、山野が膨張するような印象さえうける。 秋の雨には寂寥感があり、心を凛烈にさせる。それは厳冬の影が背後にあるからであろう。 梅雨が明けると玲瓏(れいろう)な初夏の蒼天と、若々しいパッションの季節が来る。私が梅雨を厭(いと)わないのは、夏が好きだということのうらがしかもしれない。 ところで、麦の収穫期を″麦秋″と表現する日本人の感性は芸術的と言えないだろうか。四季を生きる日本人の優れた一面に繊細な感性があるとおもう。 私も短歌で自然を表現する者として、言葉の原初的な響きに共鳴できるように、感性を研磨しようとおもっている。
早朝の川面に凄まじい水音をたてて野鯉が産卵する。葦群れが薙倒されるのではないか、とおもうほど魚体を叩きつける。雌雄で十数尾はいるだろう。精子で水面が白く濁るほどだ。
一匹が30万粒ぐらい産卵する(釣り入門百科・金子幸司著)のだから、この時期に川に放出される卵の数は計り知れない。5月〜7月は鮒(ふな)ニゴイ、ウグイなど他の魚種の産卵期でもあり、早朝の川辺はやかましいほどの騒ぎである。この卵のほとんどが川魚の餌になるのだから因果であるが…。 私の町には一級河川の阿武隈川と支流の蔵王水系の白石川が流れ町の東端で合流する。双方の川は漁種が豊富で釣りが楽しめる。私は釣り好きで子供のころから白石川を主に釣り糸を垂れてきた。家から白石川まで自転車で5分、阿武隈川へは15分で着くから便利だ。 古い話になるが、昭和55年の8月末に大型の台風が来て農作物に被害がでた。3日目の日曜の早朝に家を出た。 白石川から取水するための上水道の取水所が、桜花で有名な船岡城址公園の北側にある。取水所のすぐ下流へ隣町から流れ込んでくる堀がある。川幅3mばかりの細い堀なのだが、それに目を付けた。本流は台風の濁水で増水し、急流になっている。根こそぎの柳の大樹が流れてくる。それでも水嵩が減ったのだから、大変な降水量だった。鯉や鮒が、この堀の中に避難しているはずだとおもった。 合流点から10mぐらい上流の堀の中に釣り糸を垂れた。 川幅が狭いので子供用の竿に小型のリールを付けた貧弱な装備だった。 「ドン」と音がしたかとおもった。竿の尻が持ち上がり、穂先が水面に触れんばかりに引き込まれた。あわてて竿を上げたが、石にでも針掛かりしたかのような手応えである。水中の物が自分の置かれた状況を判断しようとして、周囲を見回している、かのような時間が過ぎた。たぶん、5〜6分のことだったとおもうが…。スーと物が上流へ走った。リールの道糸を伸ばして対応した。 その日は、私のように堀に避難しているはずの魚を狙った釣り人が4〜5人、上流にいた。「ドシドシ」と足音をたてて、その人たちが駆け寄ってきた。足音に驚いたのか、水中の物が反転した。これが私を有利にした。物は本流を本格的に恐れている。逃亡のエリアが狭すぎた。堀を下って来た物は、やはり、本流の手前で反転した。魚を引き寄せるタイミングは、針掛かりした魚が泳ぐ方向を変えるときにある。釣糸を引っぱる力が弱まるのだ。このときに、思い切ってリールを巻く。魚影が見えた。鱠(なまず)かとおもったが、鰭(おびれ)を見て鳥肌が立った。大鯉である。高ぶっている私に「ゆっくり、時間(ずがん)をかげであげろよ!」と、誰かが声をかけてくれた。 水面に顔を出した大鯉は、観念したかのように玉網に納まった。釣人に掬ってもらった。 体長が59.5p、体高22p、体重3.6sの大鯉だった。 さっそく魚拓をとり、懇意の魚屋に切ってもらった。まだ元気だった母が持参したのだが「生ぎでる魚ば切んの嫌(や)んだねや」と、しぶしぶ切ったという。 そういえば、魚屋が切っているのは冷凍の魚ばかりになったのだ。 魚拓を見るたびに、あれは僥倖だったとおもっている。 あのとき、大鯉が足音を恐れずに上流へ泳いで行ったら、完全にハリスが切れていた。道糸から切られたかもしれない。 このごろは、工業団地の裏手の大きなカーブの深場に「夢よもう一度」と竿を降ろしているが、鮒っ子、ウグイ、ニゴイと、小物ばかりが掛かってくる。 三十一音の韻律の文学の魅力にはまって三年になる。平成11年上期の河北歌壇賞(河北新報社・佐藤通雅選)を受賞した。
短歌を勉強すればするほど、類形的でまとまりすぎて新鮮味がなくなった。表現が古めかしくて色褪せてきた…などと言われるようになった。むずかしいものである。「歌は人である」と言われるが、色褪せた自分にどんな春の彩りをそえて旬の短歌を作ろうか…と考えている。 柴田町船岡在住・渡辺 信昭
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