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星を見る会 NO12 2002.7.1 梅雨に入って、星が見えませんねー!
今月は七夕もあるので、早く梅雨があけないかなぁ〜! 7月7日、星空が見えたらラッキーなことがあるかもしれませんね! 七夕は、一年に一度、織姫と彦星が会うことができる大切な日なのです。梅雨時期ではありますが、晴れると良いですね!(七夕に関する星座は、8月に紹介します) 先月は、日本全土で観測できる日食がありました。 柴田町太陽の村では曇り空の中、雲間から日食を見ることができました! 見えないと思っていたところ、雲の間から明るくなり、太陽が見えました。太陽が欠けているのが見え、感動ものでしたヨ! 日食には、ふたつの見え方があります。ひとつは、太陽と地球の間に入った月が、地球よりにあるときに見える日食が皆既日食で、太陽がスッポリとかくれます。もうひとつは、月の位置が地球からはなれているときに見える「金冠日食」です。この場合の太陽は、全部をかくされることがなく、月の外側に輪郭として残ります。今回の日食は金冠日食なのですが、全体がかくれるのを観測できたのは、南太平洋のテニアン島だけだったようです。 むかし、柴田町でも皆既日食が観測されたと、記録がありました。詳細は下記にて紹介しています。 1.季節の星座・・・さそり座 さそり座は、夏の星座として知られていますが、星座占いによると11月生まれの星座となっています。それは、生まれた日の太陽が位置する星座なので、占星術でとりあげられたものと考えられています。 さそり座は、白鳥座・こと座・わし座などと並び、夏のキャンプなどで見つけられます。赤い目をもち、毒針をふりあげ、天の川にひたっている姿は印象的ですよ! 南の空に輝いている赤く明るい一等星がさそり座のアンタレスです。この星をはさんでS字型に星が並んでいるのがさそり座です。アンタレスは,赤星と言われていたほど赤く巨大な星で,直径は太陽の230倍と言われています。 しっぽのすぐ近くに球状星団(M4)と、M6、M7の散開星団があります。 物語は冬の星座の中心、オリオンは狩りの腕はたつが乱暴者で、「この地上の生きとし生けるもので、私にかなうものはいない」と言いました。大神ゼウスの后(きさき)ヘーラは大変怒り、大サソリをつかわして、オリオンをさし殺してしまったといいます。 さしものオリオンも、今でもサソリはこわいとみえ、さそり座が東南の空にあらわれると、あわててコソコソと西空へかくれていくのだそうです。 ![]() 2.今月の星を見る会と、天文現象のスケジュール
7/ 2 半夏生
7/ 3 下弦 明け方の東の空で水星と土星が大接近。
7/ 7 小暑 新暦の「七夕」月は出ず、暗い星空になります。 7/ 8 明け方の東の空で土星、月、水星が並ぶ。 7/10 新月 7/13 夕方の西の空で月と金星が並ぶ。金星はマイナス4.1等星 7/17 上弦 7/20【海の日】 夏の土用の入り 7/23 大暑 変光星:くじら座変光星・ミラが極大光度のころ 星見会定例会開催(第4・火曜日) (午後7時30分から一時間位 太陽の村屋上です。どなたでも望遠鏡で見られます。) ![]() 20020611日食の写真【H14.6.11太陽の村にて】 ![]() 3.ちょっとためになる物知りコーナー・知っていると自慢できるかも! ◎ 町史にもある日食観測 日本が欧化熱絶頂にあった明治20(1887)年8月19日、新潟県から茨城県にかけて本州を横断する皆既日食がありました。明治政府は、国の威信をかけ、官報にも「日食観測心得書」なるものまで発表し、専門家はもちろん一般人まで広く観測を呼びかけました。 全国70の一般人からの報告の中に、我が柴田町の先輩達の観測結果もあり、現在も東京天文台に保管されているとのことです。 柴田町の食分0.922の観測地点は、入間野村字寺山山頂(現在の槻木、東禅寺の裏山か?)で、太斎熊吉、坂田伝治、平間庄右衛門の3人が観測しました。(太斎、坂田は、入間野小学校の先生でした。) 柴田町での日食の様子を3人の観測記からみてみましょう。 「二時四十分頃ヨリ太陽次第ニ右ノ下ヨリ欠ケ、両角ヲ設ケ中ニ入レ込ミタリ、日ノ形ハ地面ニ映シル、淡白ニシテ且ツ寒サヲオボエタリ」 「此日ヤ午後ヨリ黒雲天ヲ蓋イ、漸ク進ンデ三時ニイタリ天俄カニ雲晴レ好天気ト変ジ、時ニ太陽已ニ六分四ヲ欠キテオリ、西南(の)山五色ヲ帯陽気燦然恰モ五色ノ地層ニ異ナラズ、而シ而シテ太陽ノ光ノ反射ハ西南山ニ表顕シタリ、是ヨリ漸ク欠ケ三時五十分五六秒ニ至リ四方暗ク欠ケ凡ソ九分九厘余ニシテ上方ニ終ル、此時ニ於テ二星、雲間ニ出顕シタリ、然レトモ何星タルヲシラズ」 八月十九日午後四時認ム 入間野村 この日は、観測者にとって必ずしも天候に恵まれたとはいえなかったようですが、三人の願いが通じたかのように、午後3時「にわかに好天に変じた」とあり、この時すでに4/6の食が進んでいました。 「西南(の)山五色ヲ‥‥西南山ニ表顕シタリ」は、どういう状況を説明したものかわかりませんが、西南山は、寺山から西南の方向にある館山(船岡城址)を示しているのでしょうか。 3時50分56秒が食の最大で、およそ9分9厘まで欠けて終わったとしています。 そして、この食の最大の間に、雲間から2つの星を見つけることができたけれども、なんの星わからなかったと記しています。 食の最大時ころ、太陽光が弱まって見えた2つの星は、何だったのでしょう。 当日、日食は、しし座で進行していて、この時刻、空には春の星座がひろがっていました。(日中ですから、当然みえません) 「雲間から」なので、全天のうちどの程度見える状況にあったかわからないので、なんともいえません。でも、この節、おとめ座には金星と木星がいましたから、日中でも確認できることのある、この2星ではないでしょうか。 ![]() 【1887.8.19 pm3:00の星座】
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